● ● ● わ に の に わ ● ● ●

音楽やペット、スウィーツ、仕事、介護などを通じて、日々の色々な出来事をつらつらと書いてます。

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20080923upstyle前述の後輩の式当日、私は黒のロングドレスに長手袋、そして大きなパールの3点セットで行くことにしていました。
ヘアスタイルは、ロングの馬の尻尾みたいなウィッグを頭頂部にくるくると巻きつけてハイ、終わり!のはずでした。

ところが前の日に宿題(確認)をしていなかった私は後悔を。

1ヶ月前に、私はカラーリングをしました。
普段買い求めるのはかなり明るめの茶色なのですが、今回たまたま買ってみたメーカーのものをトライしてみると、パッケージの見本色よりもかなりダークな黒に近い茶色となりました。
ごまんには“落ちついててええやん”といわれ、まぁそれもそうかと、あまり気にしませんでした。

・・・と、このくだりをすっかり忘れていたのです。

ウィッグの色は、私の昔の髪の色(明るい茶色)に合わせていたので、自分の頭の上に乗せてみると、何と色が全く違う・・・・・絶句。
しかし着ていくアイテムは決まっているし、ヘアはアップにしないとすっきりしない、時間もない、ということで、持っている業務用のカーラーでとにかく髪の毛をクリクリにして、そこから逆毛を立てまくり、結果、何とかオーライとなりました。
本当に冷や汗ものでした。

オードリーの「ティファニーで朝食を」的なトップの高いヘアスタイルは、実は自分がウエディングドレスを着用する際にトライしたいと思っていましたが、当時のヘアメイクの担当者に「背が低いのでアンバランス」と言われ諦めました。
でもあのヘアスタイル、やっぱり好きなので、アンバランスでもいいやと今回それにチャレンジしてみました。
身長の低さは仕方がありませんが、焦っていたわりには上手にセットアップできて、服や小物とのバランスは良かったです。

教訓。
宿題は前の日にやっておこう。
でも当日やったら意外な発見があったりして。

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20080923happywedding先週の祝日は、後輩の結婚式に出席しました。

小さくて愛らしい。
子犬のように無邪気。
いつもコロコロと笑顔が絶えない。

普段から職場でも皆から愛されていて、私もその無邪気さに、常々ノックアウトされています。
なんというか、癒されるんですね。
私にとっては一種のオアシスです。

その彼女が晴れの日に着用したドレスが、確かエビちゃんやもえちゃんデザインのものだったと思いますが、これまた彼女の為に誂えたかのように本当によく似合っていました。

「可愛い」という言葉以外の褒め言葉が出てこないくらい、本当に凄く可愛かったです。
私と横にいたむね3は、何度も顔をくしゃくしゃにして「かわいいなぁ・・」とつぶやいていました。

挙式、披露宴、二次会と参加して、お互いにどれだけ相手のことを思いやっているかというのが凄く伝わってきて、出席した私も言葉通り「幸せを分けてもらった」気分でした。
愛し愛されってこういうことなんだなぁと思いました。

新郎新婦ともにご両親のことをそれはそれはとても大切にしていることも感動しました。

そして招待客への気遣いにも溢れていて、披露宴の席には1人1人に手紙が置いてあったり、披露宴と二次会でのスライドで出席者1人1人に対するメッセージやエピソードもあったりと、ちょっと泣けました。

そして結婚式の翌日、その前夜は3次会まで行ったというのに昼から出勤してきた彼女。

結婚前より更に光り輝いていました。
いえ、本当に大げさではなく、何と言うか、まぶしかったのです。
綺麗度と可愛い度が確実にUPしていました。
これもダーリンの「アイノチカラ」なのでしょうか。

幸せな笑顔も綺麗度と可愛い度にのっかって、彼女の周りに薄いピンク色のベールがかかっているようでした。
幸せなんだなぁ、よかったなぁって思いました。

沢山の「愛」に包まれているような1日でした。

どうか、末永く、お幸せにね。

追伸。
しゃむさんが着用していたエメラルドグリーンのワンピースがとても綺麗でした。
なかなか見ない色で、思わず見とれてしまいました。
やはりお祝いの席は華やかなのがイチバン!ですね。
praying mantis

実家に帰り、すてっきの食事の支度でスーパーに出掛けたときのこと。

買い物を済ませ、近くのお好み焼き屋でごまんと自分用のお好み焼きが焼きあがる間、横の公園で座って待っていたら、かまきりを手にのっけた男の子がいたので、なんとなく気になり、どちらからともなく話を切り出しました。

今日捕まえたばかりのかまきりを自慢そうに見せてくれました。
彼は昆虫博士だと言って、家にある昆虫図鑑から得たかなり掘り下げた知識を私に披露してくれました。

久しぶりに幼い子とのいたって素朴な虫にまつわる会話、かなり興味深かったです。
私もその子に自分の幼い頃の虫にまつわる話をするとふんふんと聞いてくれました。
しばし拝借して腕にのっけて遊んでいました。

・・・・ちょっとタイムスリップしました。

私がまだ幼い頃は、近くには田んぼやら畑が沢山あり、色々な昆虫にも遭遇して、あそんでいました。
血吸いバッタがいて皆でうわ~って言うたり、彼が持っていたのよりももっとデカくて攻撃的なかまきりに威嚇したり、トカゲやヤモリもイエの外壁に沢山ひっついていたり、家の前の田んぼには、雨の季節はアマガエルが沢山可愛らしく佇んでいたり、手足が極端に長い蜘蛛をたびたび見て母が悲鳴をあげていたりと。

そういえば小学校の頃は、カンペンケースに男子がトカゲやら虫類を飼育することが流行っていたことや、小学校を卒業した時に、男子の連れが近くの川にいたという2メートルもある蛇を二人がかりで抱えてきて見せてくれたりと、虫や生き物に接する機会がとても多かったように思います。

現代の子供社会については全く疎いのでよく分かりませんが、虫たちと触れ合うような子供に遭遇して、ちょっとほっとした気がしました。

別れ際に、彼がまた会おうと言ってくれましたが、私はその街には住んでいないので、またいつか偶然に会える日が来ればいいなぁと、その時はどんな昆虫の話を聞かせてくれるだろうかと密かに楽しみにすることにしました。

脱線しますが、私は基本的に極度の人見知りで、初対面の場合はその威力を最大限に発揮してしまうわけ(あかんやん)ですが、子供となら普通に会話ができました。
不思議です・・・。
福鰐

早いもので、金曜日は愛犬の福が亡くなって3度目の秋、ということで4回忌の日でした。

現在は大阪を離れ、動物飼育禁止の集合住宅に居を構えているため、昔のように犬に遭遇する頻度は極端に減りました。
通勤時も街なかしか通らない為に、普段は殆ど動物たちにお目にかかることはありません。

考えてみれば、今まで当たり前であった犬や猫が佇む風景の中に、現在の自分は存在していないのだなぁと。

犬や猫の不思議な力が時として凄く癒してくれたり、励ましてくれたり、私にとってはプラスの力を与えてくれましたが、現在は全く彼らとは無関係の暮らしをしている自分に驚きます。

犬のまっすぐひたむきな瞳や、チョンと触るといやがるお鼻、白い毛がハイソックスだったり足袋だったりに見えるあんよ、ふかふかの肉球、ぽんぽんのおなか。
どの子を見ても可愛らしいと思います。

飼い主馬鹿ですが、そんな可愛さを福も持っていました。

最近は、ホームセンター等に併設されているペットショップを覗いても鼻が赤くなることはほぼなくなりました。
でも同じ犬種の赤ちゃんを見ると、やっぱり福を貰ってきた頃の毛がふわふわのつぶれ大福具合を思い出します。

命を育て上げるということは、反面、自分もその命に育てられているのだなぁとつくづく思います。
福を育て上げた私は、逆に、福が私のとがった棘のような面を知らない間に取り去って、少しだけ丸い人間に育て上げてくれていました。
ありがたいことです。

向日葵鰐

こたつむしさんが、福の命日を覚えていてくれて、可愛らしい向日葵の花束をお供えにくれました。
”福ちゃん、明るい色がいいって仰っていたので”ということで、明るいお日様色の向日葵を選んでくれたようです。
凄く嬉しかったです。ほんとうにありがとう。
福もさぞかし喜んでいることでしょう。
そのこたつむしさんの愛犬ゆうちゃんの命日は、福とちょうど1週間違い。
9月はお互いにおセンチになる月です。

こたつむしさんに頂いた向日葵を飾り、あとは福が大好きだったりくろーおじさんのチーズケーキに梨、肉、トマト、大根、りんご、そしてぶどうやおさつ等々をお供えして、亡くなった時間にごまんと二人で線香をあげて福の今後について幸せでありますようにとお祈りしました。

3年経過したということで、自分的にはずいぶん福がぽっかりといなくなったことについて慣れてきたつもりでしたが、福のことを書いた昔のブログの記事などを読み直すと、やはり平常心ではいられないようです。

福がまだ若かった頃の写真などを見直して、色々なエピソードやしぐさを思い出したり、毛の感触や瞳を思い出したり。

未だに福に出逢えたことを、私のところに来てくれたことについて感謝の気持ちでいっぱいです。

心からありがとう。

福に出逢えてよかった
まんま1

LEE.さんのブログのとある記事に載っていたお子さんのHJくんの作品を見て、モノを創造するってやっぱり楽しいなぁと思った。

何のルールもなく自由に頭の中で立体化されたイメージを目の前にぽこんと表現する。
誰の邪魔も入らない。
モノを生み出す手はまるで魔法がかかっているかのよう。

その人その人の長さであったり形状であったりする定規。
その定規を使ってのはみ出し感もまた人それぞれ。

その人その人の色彩感覚やバランス感覚。
それらの交差具合もまた人それぞれ。

今年に入ってからは忙しさにかまけて創造することをしていない。
自分の中のコドモをどこかに置いてきている感じがする。
らしくない。

もう少し落ち着いたら、またこういうの、作りたいと思う。

まんま2

楽しい食卓。

そして楽しい笑顔。
naikan昨日は、私が独身時代にごまんと住んでいた物件を退去するため、大掃除をしました。

見るからにレトロでしょ?

最近はこのようなレトロな建築を好んで住む若者も多いそうですね。
分かる気がします。
スターハウスほどの圧倒的な昭和テイストはありませんが、ソコソコ堪能できました。

私が住んでいたこの集合住宅は、完成した当時はその界隈では一番の高層だったようです。
住んでいたのは10階前後でしたが、確かに眺めは良かったです。

当時、両親から離れて一人で暮らしたいと思い、それまでの缶入り娘は飛び出しました。

レトロとはいえ、大阪の中心部という絶好のエリアにあったので、家賃は当時の給料の三分の一を余裕で越えていました。
ということで、とても規則正しく、計画的な生活を送っていたのを思い出しました。

チャリでいけるほんそばには緑が豊富な大きな公園があり、よく散歩をしたり、ウォーキングもしました。

ここに越してきた頃は、会社から帰ったら、ローラーブレードをはいて、暗くなるまで一人真剣に遊んでいました。
女性一人で暗い中公園にいるのは危ないと、当時のバンド仲間の中川氏に説教されたことも思い出しました。

そのうちごまんが転がり込んできました。
最初はたまに遊びに来ていたのが、いつの間にか居候、そして同居に。

因みにごまんと私の職場は徒歩で10分弱の距離なので、朝は一緒に出勤、帰りも一緒に帰宅というほぼ同じサイクルでの生活をするようになり、一心同体化していきました。

二人でつつく鍋や、ホットプレートを引っ張り出しての粉もん三昧も楽しかったです。
考えてみれば、この時にかなり兄弟の絆が深まったのだろうなぁと思います。

色々な思い出が染み付いた住処でした。

ごまんとごまん

ごまんが窓を拭きながら海豹の絵をガラスクルーで描きました。
その後鰐を描こうとしたら、缶はカラでした。
ごまんのばか。

潜水艦こちらはトイレの扉ですが、可愛らしいでしょ?
非常にいい味だしていて、まるで潜水艦か船にあるトイレの扉のようです。

トイレの床の色も、くすんだグリーンとブルーを掛け合わせたような、これまたレトロないい感じの色。
何故かとても落ち着きました。

そういえば、写真を撮るのを忘れましたが、洗面台の高さが時代を物語っていました。

恐らくこういうアイテムって、その時代の平均身長などを参考にするのではないかと思うのですが、洗面台がちょうど私が使っていいくらいの高さに位置していました。

190cm超えの連れのPierreが泊まりに来た際、洗面台を見て笑ってました。
そりゃそうですね、彼が使う時は、ひざまずいて手を洗っていましたから。
その姿を写真に撮っておけばよかった。
子供用の洗面台かと訊かれたような気がします。

あと、とても面白かったのは、上から見るとオーバルの円柱型の建物だったのですが、私がいたフロアの一部分が東西に吹き抜けになっていて、本来居住スペースがあるだろう場所には遊技場がありました。
よく公園でみかけるようなライオンとかかばとか。
そして天井からチェーンでつながれたタイヤのブランコ、それにジャングルジム、滑り台等々。
建物の中、中層階にです。
普通ありえません。
よく遊ばせてもらいました(私は大人でしたが)。

こういうレトロな味のあるところに暫く住んでいたのはとてもいい経験になったと思います。
新しいものもよいけれど、古いものが持つ年輪というか、独特のデザインなどは、今の自分の生活にも非常にいいヒントを与えてくれていると思います。

長年の御礼を述べて、後にしました。
sticky fingers toy

昨年の初冬まで、大阪の中心部に居を構えていた私は、梅田に行くにしても、難波・天王寺に行くにしてもチャリでサクッと出掛けていました。

チャリのいいところは・・・

ふらっと走って色々な街のお店にふらっと立ち寄ることが出来る。

ふらっと立ち止まり、景色のいいスポットで携帯をおもむろに取り出しては撮影することが出来る。

買い物などで大きな荷物が出来ても、カゴに入れて楽々移動。

現在の街に引っ越してくる際、私にとって「第二の足」であるチャリを母に譲りました。
幸い新天地は駅近で、スーパーに行くにはチャリは不要といえば不要なのですが、徒歩での行動範囲は限られており、自分の住んでいる街を徒歩のみで知るにような時間の余裕もなく、やはりチャリが欲しい・・と、思い立って本日購入。

久しぶりの27インチ。
コマの小さくてお洒落なチャリは私(の性分)には合いません。
いわゆるシティーサイクルと呼ばれる庶民的な価格設定のやつです。
背丈が小さいのに、27インチ、しかもサドルを更に高く設定するのが自分流です。
はたから見ると危ないように見えるみたいですが、この高さでないとペダルを漕ぐときとても疲れるのです。

チャリは爽快。
身体と一体化して街を走り抜ける時に受ける風の心地よいこと。
決められたレールを走らないのがやっぱり自分に合います。

そろそろ秋が見え隠れする季節。
時間があればふらっと新天地を走り抜けて綺麗な夕焼けでも撮影したいものです。

チャリに乗ると自然と携帯で撮影する機会も増えるのでこれからとても楽しみです。

若い頃手に入れたSticky Fingersのキーホルダーが今頃やっと役に立ちました。
油みそとアーサ

妹分のかわっくが渡したいものがあるからと仕事帰りに訪ねてきてくれました。

まずは沖縄土産の油みそとアーサ。
油みそはちょっぴり甘めのお味噌に豚肉が入った(形はなくなっています)もので、これは野菜スティックやおにぎりにぴったり。
そして金城産のアーサ(ヒトエグサ)は磯の香りがするとてもかわった食感の海草で、お味噌汁の具に入れるアイテムでした。
いや~ありがたいお土産、本当にありがとう。

それから、もうひとつプレゼントが。
開けてみるとイタリアチョコレートのCaffarelの箱。

caffarel box

更に開けてみると。

きのこポット

かわいらしいきのこのポットが出てきました。
チョコ事情に疎い私には、とても夢のあるお菓子です。
こういうの、たまりません。
ポットもさることながら、チョコの包み紙もキュートです。
きのこポットには可愛らしいきのこのチョコが入っていましたが、他にもマーガレットや水仙、いちごにてんとう虫、金魚など、色々な種類のチョコがあるのですね。

かわっくどうもありがとう~
今度は近場でブランチでもしよう~
最初TVで初めてそのCMを観た時に思わず

”か~わ~い~い~!!!!!”
と虜になってしまったアルパカのクラレちゃん。

ミラバケッソのCMに登場していますが、今日クラレのHPをチェックするまで、本当にツクリモノだと思っていました。

このTVCMの撮影風景、更にたまりません。

スタッフの人が、普通に”アルパカ入りま~す”って仰ってるし・・・

とことことことこって撮影所に普通に入場してくる姿がなんともいえない。


あの大きな目。
何て目で見るんでしょうね。
下半身のモコモコ具合もかわいい。


で、”めぇ~”ってなくんですね。

角度を変えるとスタンダードプードル(大きすぎて、私は人間入ってるんじゃないかといつも思います)みたい。

那須のアルパカ牧場(入場無料だそうです)にいる子が起用されたそうですが、観にいきたい・・・
しかし遠すぎる・・・・・
国際文通週間

今年前半で実家のものを処分した中に、大量の手紙や葉書がありました。
会社で切手を集めていたので、切手だけ切り取り、会社に持って行きました。

その中に、とてもかわいらしいスタンプが押印された1965年の切手がありました。

私がまだ細胞として芽生えていない、両親も結婚していない頃の切手。

国際文通週間記念。

文通。

そういえば、私には何人かの文通相手がいました。

小6の頃、互いに別の志望校を目指し励ましあった塾の友達。
ガールスカウトの全国キャンプで知り合った沖縄の団の友達。
どうして知り合ったのか、中学時代にやりとりしていたアメリカの女の子。

いつのまに文通をしなくなったのでしょう。

インターネットが普及してから、手紙を書くことが極端に減ったように思います。

手紙。

手紙を出して、相手からお返事が返ってくるまでのワクワク感。

絵を描くのが好きだったので、イラストもよく添えていた気がします。

手紙は、何かに代えがたい、書いた人の分身であり、色々な思いをめぐらすことが出来る、魔法のようなものであり、いいものだったということを思い出しました。

実家から、大好きだった祖母から貰った大量の手紙も出てきました。
考えてみれば、祖母とも文通をしていました。

祖母はとてもまめに書いてくれていました。

私は祖母から手紙を介して貰った愛情の何分の一でも、彼女にお返し出来ていただろうかと、ふと考えてしまいました。


手紙の持つ見えないちからに、また魅力を感じ始めました。





kokoronosora
普段親しくさせて頂いている古狼維央璃(コロウイオリ)さんの詩集「心の空」が、本日、日本文学館より発売となりました。

“空は青くてちょっとせつない。”という帯のコトバ。

私も同じ気持ちを抱きました。

ある時までは空は青くて綺麗というイメージしか浮かびませんでしたが、あることをきっかけに、空は少しせつないものになりました。
でもせつなくなるだけでなく、そこからまた頑張ろうという気持ちも沸いてくる不思議な存在となりました。

さて、著者である古狼維央璃(コロウイオリ)さんの「心の空」ですが、恋心をうたったものも多く、心に奥深く突き刺さるような詩もあります。
私なりの解釈で少し紹介します。

時間を経て気づいた、過ぎ去った恋に対する自分の過ちを切々と語った「傘」。
一行一行が優しく、しかし見えない氷の矢で心の深くを射抜かれたような感覚です。

叶わないならいっそなくなってしまえばいいという切ない気持ちが痛いほど伝わってくる「想い」。
こういう苦しい感覚、その昔、自分も似た気持ちを詩に認めたことを思い出しました。

頭の中は恋しい人でいっぱいというピュアな気持ちが綴られた「夜のひつじ」。

コインで手に入れることが出来ない幸せが買える自販機、あなたは何を望むかという、私なら何にしようかと思わずあれこれ考えてしまった「自販機」。

何事にも臆病な自分に投げかけられているような、とても前向きにさせてくれる「種」。
私は人生で一度だけ、それまでにありえないような勇気を振り絞ったことがありましたが、振り絞ってよかったと未だに思います。
背中をぽんと押してくれるような、応援の詩です。

詩集のとてもピュアな気持ちが、コトバという魔法をかけられ、頭の中で映像化されていきました。

自分も来年次世代への階段を昇ることになり、現在過去未来に関する色々なことに、古狼維央璃さんの詩をあてはめてみて、おもわずう~んと深く考える機会を与えてもらった気がします。

ということで、これからの季節の空や、ぬるめの半身浴をしながら、詩を深く掘り下げて、読書の秋を堪能されてはいかがでしょうか。

「心の空」

著者: 古狼維央璃[コロウイオリ]

出版社: 日本文学館

サイズ: B6版 118頁

本体価格 1,000円 (税込 1,050 円)

書店、インターネットにて発売中です。
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