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音楽やペット、スウィーツ、仕事、介護などを通じて、日々の色々な出来事をつらつらと書いてます。

この5ヶ月、尋常でない生活と肉体労働を行ってきたごまんと私。
激務でストレスもたまります。

ストレスをためると、この兄弟に類似の傾向が働きます。

「食」です。
激務で痩せるかと思えば、逆に身体の防御反応が働いて、一人でも病気などでメンツが欠けると、つまりは他のメンツにもろに迷惑をかけるということで、“絶対身体を壊してはいけない”という意識が生まれ、ごまんと私は体力作りにもりもり食べました。

自炊している暇などあるわけもなく、空き時間の合間に、ミニストップのスパイシーポテトとソフトをほおばり(これがまた旨し!!)暫くの至福のときを過ごしてみたり(ぶーちゃんまっしぐら)また晩御飯の時間も遅い時間に、ということが多かった為、ふたりの身体は大きく育ちました。

防御反応が働きすぎていたのでしょうか、おかげで入っていたものが入らなくなりました。
過剰反応で、若干、ありがた迷惑です。

しかしこれで普通の食生活や、しんどいから食べないとか言っていたら、確実に身体を壊していただろうなぁと思います。


今回のストレス太りは必要悪でありました。

しかし、そろそろ防御反応は起きなくてよい時期だと身体に言い聞かせないといけません。



いつ判ってくれるのでしょうか・・・・・・・。
さて、以前に私は馬車馬で・・というくだりで日記を書いていましたが、何が馬車馬だったのかということを記したいと思います。

実は1月から5月末まで、実家を処分するべく、一戸建ての実家と3つの倉庫そして現在まで住んでいた集合住宅の荷物を処分・整理をして新たな集合住宅へ移るという3方向の引越しを行っていたのです。
こんな感じです。
実家+倉庫+倉庫+倉庫+現居・・・>新居に集結
5つのエリアから1つのエリアに集結・・・。
この作業が恐ろしくすさまじいものでした。

実家にあるのは一部を除きほぼ両親の物だけなのですが、40年もの間そこに腰を下ろしていたということ、そして昭和初期の人間ということもあり、モノを大事にする性分が染み付いて、それが大量の荷物を生み出しておりました。
モノを大事にする性分自体は良いことであると思いますし、私も賛成です。
忘れてはいけないことだと思います。
しかしそれは程度問題であると痛感しました。

父は仕事柄、書籍や書類、新聞があほほどあって、3つの倉庫の殆ども父のそういう関係のもので山積みとなっていました。
4~5mの高さの倉庫の頂上まで積まれているのです。
ある程度は家族で古紙の日などに捨てたり、処理工場に持ち込んだりしましたが、それでも減らないので古紙回収業者に依頼した際、ダンボール約60個の紙類がトラックに積まれて引き取られていきました。
仕事以外にも、若い頃に色々なスポーツをしていたり、カメラや八ミリにも凝っていた父のアイテムはかなりの量でした。

そして母は商売が出来るくらいの数の食器(しかも未開封)を大事に収納していました(娘が嫁ぐ際に手渡すつもりだったそうですが)。
色々な手芸も手広くやっていたので、布類も毛糸も器具も、“え?”というくらいの量のものが色々な部屋から出てきました。
あと、和洋の衣類の多さ。
出てくるわ出てくるわ。
祖母と母の着物や小物も沢山ありました。

実家は日本家屋の大工が始めて洋風建築に取り組んだ中途半端なつくりで、押入れあるいはクローゼットが殆どないという状況で、ではどうしていたのかというと、今のライフスタイルでは考えられませんが、箪笥だけで20近く置いていました。

ということで、1月から5月末までは我々子供で協力して、荷物の処分や移動の作業を土日返上、場合によっては平日会社を休んでトラックを借りて処理工場に搬入するというような生活を送っていたので、土日のプライベートな時間は片手で足りるくらいしか過ごしていませんでした。

さて、実家や倉庫の荷物の殆どは両親のものと先に記しましたが、普通は所有主が処分なり整理なりするのですが、父であるすてっきは入院中、母は腰を患い、すてっきの看病もあるので、当の本人達が全く指示を出せない状況でした。

自分のものではないモノを処分やら整理したのは我々子供で、どれが必要でどれが不要なのかも手探り状態。
これにはかなり悩まされ、「大きな葛篭から小さな葛篭に移すには多くを処分するしかない」という兄弟の考えに、母は「大事にしてきたものだから」ということで、両者間でかなりの意見の相違もあり衝突も多々ありました。
また、面白いことに、我々が「これは残しておくだろう」というような物が、実際母にとっては「あ、捨てて」ということがあったり、また逆で「こんなん処分していいよね?」というような物が、母にとっては「あかんあかん、これはちゃんとおいておくねん」・・・・・・・。
兄弟絶句。
故に更に作業の時間が増えたのでした。

この5ヶ月に及ぶ(普通はそんなにかからんでしょと思うでしょ?)処分や整理で、年をとれば、荷物をスリム化する必要性をひしひしと感じたわけです。

さて、我々が実家を処分しようと決断した理由に、
①実家付近にすてっき及び母が通える病院がない
②駅まで遠い
③兄は既に近畿圏外で住まいを構えているし、ごまんや私も実家に住むつもりはない
などがあります。

年老いた両親が住むには不便すぎました。
一戸建ては、すてっきのように身体が不自由になってしまうと建物全体がストレスと危険の塊と化すので、高齢になり階段のある一戸建てからフラットなマンションに引越す人々の気持ちがよく判りました。

それと建物自体が問題を抱えていました。
阪神大震災の際に実家が若干傾いてしまい、外壁にヒビが入り、いつか補修をしようと言っていたのに気がついたらすてっきが脳梗塞で倒れてそれどころではなくなり現在に至ったという状況で、いづれにしても長くは住めない状況になっていたというのも大きな理由です。

それから、現在の新居を選んだ理由は3つありました。

1つ目はアクセスのよさ。
大阪の中心部にある新居は、車椅子で数分の距離に大きな病院がいくつもあり、交通も便利でタクシー乗り場まで併設されているので、かなり便利です。

2つ目はトイレ。
??と思われた方が多いと思いますが、これから実際介護される方は侮れません。
高齢者のトイレは非常に長いです。
故に同居の家族のトイレには制約があるのです。
我が家にはポータブルトイレもありますし、しびんもあります、オムツもあります。
しかし本人はトイレでの排泄を希望しているので(それが一番望ましいのですが)、すてっきにトイレを譲ると、ひどいときには1時間近くトイレを占拠してしまいます。
会社勤めの人間には酷です。
また、高齢の連れ合い(母)にとってもトイレを我慢することは非常に酷です。
ある時、私がネットで物件を探していたら、たまたまこのトイレが2つある物件(2こ1にした物件)を見つけ、築年数は古いものの、住居の広さも広く、すてっきのトイレまでのアクセスが非常に便利で、もうここにするしかないと、即決しました。
現在ではトイレの1つをすてっき用、そしてもうひとつは他の家族や来客用として利用しています。

そして3つ目は音。
すてっきは片耳が聴こえない上に、聴こえているほうの耳も補聴器で微かに聴こえる程度です。
耳が聴こえないということは、周囲の音がどれだけの音量で鳴っているかを体感しにくいということで、例えばドアの閉める音、立ち上がる音、歩く音、話す音量、全てにおいてマックスなのです。
加えてからだの不自由さもあり、そおっと物を扱うことが出来ず、何でも反動になってしまいます。
母はすてっきの発する色々な「音」に関して過敏になり過ぎていたため、普段からすてっきに対して注意するようにと叱っていました。
すてっきにしてみれば「故意」ではないので、なかなかなおすことが出来ません。
責めても仕方がないのです。
一戸建てであれば音のことはさほど気にしなくてもよいですが、集合住宅となればデリケートな問題です。
幸い、新居には高齢者が多数いらっしゃるようで、どこの家庭でも同じ悩みを抱えているということから、普通の集合住宅よりもあまり気にしなくてよいこの新居に決めたのでした。
勿論、新居では、色々な扉などに緩衝キットを挟んで反動で閉まった際に大きな音がならないように、すてっきが指をつめないようにしています。
それと転倒しないようにと色々なところに手すりも沢山つけました。

話は戻り、毎週土日、そして平日もたびたび休んでの作業で、処分した量もハンパではなく、2Tトラックを10回くらい借りて、処理工場には20往復くらい行ったり、その他も、日々のごみ収集で少しづつ捨てましたが、 当初うんざりするほどの量のものが、からっぽになったさまを見て、最初はおセンチになるような余裕は全くなかったものの、最後のほうで、かなり哀しくなっていました。
自分の生まれた家がなくなるというのは寂しいものですね。

実家でも思い出深いのは、屋上。
お月見や、ビール片手に寝そべって星空を観賞するなど、楽しい想い出が詰まっていました。
ごまんと最後に大の字になって寝転んでみました。

屋上にて


そして家の裏には並木の公園があり、春になると、屋上から、2Fから櫻を愛でることも楽しみの一つでした。

記念に家の何かを想い出に持ち帰りたいと思い、応接室にあったお気に入りだったマントルピースの大理石を持って帰り、スイーツ作りの際に使おうかと思いましたが、あまりにも重くて断念。

エントランスと応接室にあった間接照明は、そのムーディな佇まいが好きだったので、シェードだけを強引に外し、筒状になったシェードを、今は私が自宅で夜にロウソクを灯し、ダイニングでムーディな佇まいを楽しむため持ち帰りました。

シェード1


何ともいえない表情を浮かべます。
これを自宅に持ち帰り、初めて夜にロウソクを灯した際は、今までのことが走馬灯のように駆け巡り、若干涙腺緩みました。

シェード2

近所で使ってくださると仰って下さったものはお譲りしました。
一番面白かったのは大きな物置をご近所さんにお譲りする際、当初大人4人で動かさないと無理ではないかと言っていたのを、メンツが揃わないからと、大きなレジャーシートを敷き、台車をかませてごまんと二人で運搬したこと。
人間なんでも出来るんだなぁと思いました。

ということで、5ヶ月間の実家関連の作業、そして3月~6月のすてっき入院と、ダブルできたのでみんなへとへとでした。
まだ1つ倉庫と現在住んでいる住まいの荷物が仕分け・運搬出来ていないので、これからまだ頑張らないといけませんが、最近の猛暑もあるのでぼちぼちいきたいと思います。

みなさんも暑さには十分にご注意を!!
病院にて

3月に入院したすてっきは、6月のあたまに退院しました。
皆様色々とご心配をおかけしてすみませんでした。

症状は劇的に快方に向かうわけではなく、どちらかといえば、これから肉体的にも、そして精神的にも非常に緩やかな坂道を下ることになると思いますが、坂道を下る父親の姿をそばで見ている時に、ふと元気だった頃のことがフラッシュバックする瞬間に、色々と複雑な気持ちになりますが、しかしこういう機会に改めて家族の絆の深さを知る幸せもよいものですね。

先も長いですから、いきなりアクセルをふかさずにこれからは介護される側(すてっき)と介護する側(家族)のチームワークを高めて、皆で協力していきたいと思います。

「がんばらない介護」という言葉をよく耳にしますが、まさにそうだと思います。
介護される人にも介護をする側にも人生や日々の生活がある。
家族一人一人がお互いに自分の生活や人生を尊重し助け合わないといつか破綻してしまう、最近はそれを痛感します。

名犬ジョリー」の歌ではありませんが、“ジョリーとふたりではんぶんこ”の気持ちで、色々なことをみんなで等分に分け合えるように、すてっきと同居していない私は、同居している他の家族の負担を少しでも軽減出来るように、こんなときくらいは長女らしく色々と機転をきかさないと・・と思います。

それと、退院後に介護の級が5級になり、すてっきが利用可能なサービスも多くなったので、活用できるものは活用して、全てを家族で背負うことをせず、介護側も自分の時間を大切にする、介護疲れなどを極力ためないようにすることをお互いに心がけたいと思います。

介護については今年に入って本当に色々なことを学ぶ機会があります。
これからぽちぽちと、ごまんや私がぶつかったり学んだことをお伝えしていけたらと思います。

家族同様、兄弟がいることの有難さもひしひしと感じています。
兄弟は、同じ母親の産道を通過してこの世に生まれてきますが、何と言うか、同じ産道を通ってきた見えない何かがしっかりと働いている気がします。
同じ温度で物事を感じたり進めることが出来るのはありがたいです。
有難いことです。
兄弟を3人産んでくれた両親に感謝します。

何はともあれ、長い道程を、家族で手をつなぐような感覚で。

親孝行、いや違うなぁ、育ててくれた恩返しはいくらしてもし足りません。
親はそれだけのことをしてくれたから。
まだまだです、自分は。