● ● ● わ に の に わ ● ● ●

音楽やペット、スウィーツ、仕事、介護などを通じて、日々の色々な出来事をつらつらと書いてます。

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26日にここのつになりました。
大人の仲間入りまであと1年となりました。

30代はジェットコースターのようでした。
色々な上り坂と下り坂を繰り返し、
得たものも失ったものも多く、
また出逢いと別れも同じくらい多く、
言い換えれば、甘くもあり辛くもある中濃ソース
くらいの人生を送ったのではないかと思います。

有難いことに、色々なことを学ぶ機会が沢山ありました。
いいことも悪いこともきちんと咀嚼して自分に浸透
させることを忘れないようにしようと思います。

ここでひとつ、大きな深呼吸をして、大きな歩幅で
30代最後の貴重な1年を興味深く歩んでいきたいと
思います。

今まで無事に生きてこれたことに感謝。
そして育ててくれた親と見守ってくれた兄弟、
よき理解者の相方にも感謝。

あなた達が思う以上に
私はあなた達を深く愛しています。
日々少しでも、この気持ちが伝わることを祈りつつ。
長い間ご無沙汰しております。

最近はブログをきちんと更新する余裕がなく、日々せわしなく過ごしております。

3連休に、友達のおとやんの晴れの門出に出席すべく、宮崎、鹿児島へと旅立っておりましたが、書き始めると結構な量で、これはゆっくりと腰を落ち着けて、と思います。

今回は、楽しかった旅の思い出の後に遭遇した、その後1週間の哀しいやら悔しいやらという出来事について書こうと思います。


3連休の明けた21日の火曜日、私は先輩夫婦と呑みに出掛けました。
その際、普段食べもしない牡蠣フライをその時は何故か食べてしまったのです。
その日は何ともなかったのです。

しかし水曜の晩、木曜の晩と、立て続けにトイレで口から滝を創造する自分。
“きっと疲れているからだろう・・”
確かに疲労は蓄積されていました。

そして金曜の夕方。
耐え切れない胃腸の痙攣の応酬。
体が「く」の字の姿勢にしか出来ないくらいの痛みが続き、深夜は上から下から噴水で訳が解らないまま朦朧として夜を明かしました。
一応無意識にポカリを点滴がわりに飲んでいたので、幸い体力は温存されていたようです。

翌朝、つまりは土曜の朝に診察。
すると牡蠣フライからくるウイルス性胃腸炎と言われてえッ!?フライなのに!?
しかもこんなタイムラグ有で!?正直驚きました。

先生に薬を処方して頂いた際に、「暫くはおかゆの汁くらいならいいでしょ」という言葉に涙。
暫くおかゆの汁だけなの?
しかし胃をからっぽにしないと先に進みません(もう既に空っぽにはなっていたのですが)。
これで快方へ向かうものと信じ、先生にも許可を頂き、昼からのSmileの練習に参加すべく浅知恵邸へ。

かなり久し振りの練習に集まった面々、この年末年始に旅行や帰省やらでお土産が。
涙で前が見えない状態。食べられない。哀しすぎる・・・。

Megさんのお手製のサンドウィッチも凄く美味しそうだったのに食べられない。
心の中で豪雨が降っているかのように哀しい。

枝龍の持参した肉まんが美味しそうに光っていました(私にはそう見えました)。
可哀相だということで、Megさんが肉まんを包んで下さいました。
目の前でみんなが美味しそうにほおばる姿を見て、食べられないってこんなに辛いの?って半泣き状態でした。

そして練習。
どんどん歌う力も抜けてきて座って歌うことに。

そして休憩タイム。
ここで浅知恵さんとMegさんからサプライズが。
果物がこれでもかとたっぷりてんこもりにトッピングされたバースデーケーキが登場。
なかなかここまで乗っかっているものって見かけることがないのですが、すごい~!!

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そしてMegさんが一言。

“ジャッキーちゃん、1週間早いけれど誕生日だから!!”



え。

え?
えぇぇぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇぇえええええええ!!!??????

微笑むMegさんに微笑み返しが出来ない自分。

私のようなはなくそのためにバースデーケーキのサプライズという感激の涙と、そんな貴重でむちゃくちゃ美味しそうなケーキをこの場で食すことが出来ない無念の涙を心の中で流しておりました。

その後ロウソクを立て、みんなで歌ってくれました。
誕生日はいくつになっても嬉しいものです。
そしてろうそくを吹き消すと、私が食べられないということで、ケーキは浅知恵さん、Megさん、枝龍、健くんのきっちり4等分に。
食べられないのは分かっていたけれど、え、ほんとに私の分がないの?
え、ほんとに?
ほ、ほんとぉぉぉぉぉ???
・・・・・・・・・・・・・。

4等分に分けられたケーキを美味しそうに食べるメンバーたちの幸せそうな表情。
そして自分のお皿に目をやると、「Jackeyおたんじょうびおめでとう」のマジパンプレートとほんの少しの果物。

現実を目の当たりにし、今度は本当に涙目になってしまいました。
そう、悔し涙でしょうか。
涙でプレートの文字が良く見えませんでした。

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食べられないということがこんなにも悔しく悲しいものだと初めて痛感しました。
そして不慮とはいえ、なんというタイミングの悪さというか、折角のご厚意を無駄にしてしまい、一生悔いの残る想い出となりました。

結局その後また悪化して、水曜日にやっと職場復帰となりました。
1週間、結構辛かったです。もうこりごり。
やっと少しづつ食事が出来るようになりましたが、それでも本調子ではなく。

このままでは週末に予約を入れていたまんまやケーキが危ぶまれ・・・・。

新年に新たな試練と向き合い、ひとつ強くなれた・・・・はず。

がんだむ

最初に書いておきますが、タイトルはあの♪もえあがぁれぇぇ、もえあがぁぁれぇぇ、のガンダムではありません。


結構冷え性なのです。

昔は冬場になると、体全部をすっぽり布団に入れて冬眠中の動物のように眠っていました。

いつからか、まっすぐの状態で眠ることを覚え(確か片方だけに向いて寝ていると腸の動きが・・と思ったのだったか定かではありません)、それ以降迎える冬はいつも、肩が寒くて寝つきも目覚めも芳しくありません。

それを防ぐためにやってきたのが通称『ガンダム』。
数年前から愛用しています。

・・・・・補足説明をば。
私は勝手に羽毛の肩と頸部を覆う短いベストみたいな物体のことをガンダムと呼んでいます。
どうしてかというと、小さな私がそれを着用すると、上半身が超合金のようであるからです。
別にガンダムでなくても仮面ライダーでもデカレンジャーでもボウケンジャーでもよいわけですが、単に語呂がよいからガンダム。

新天地に来てからは、気温の差を感じ、特に夜は大阪よりも寒いために、ガンダムはマストアイテムです。

このマストアイテム、非常に暖かい優れものなのですが、問題がひとつ。
就寝中の体温が自分の規定以上に上昇すると、知らない間にどうやら取り外ししているようで、起床時に可哀相な姿で発見されることがあります。

そんなぞんざいな扱いをたまにする私ではありますが、どうか今年の冬も仲良くしてください、宜しくお願いします。

ガンダム愛用されている方って・・いらっしゃるかなぁ・・??
門戸厄神

今年、我が家には親兄弟を含めて厄に関わる人間が数名います。
ということで、門戸厄神に行ってまいりました。

正月の後半というのに参拝客が多く、ひしめき合っていました。
男厄、女厄の階段があって、階段のわきには籠が置いてあり、小銭を皆さん入れていらっしゃいました。
厄の人は、他人から7色のものや、蛇などの革製品などを貰うとよいと言われていますが、ご他聞にもれず、私もいくつか買い求めました。
そしていざ御祓いへと・・・え・・・1万!?
ということは3人分だから3万!?
場所によって、厄年の御祓い料金ってこうも違うのですね。
大阪のほうでは5千円くらいがわりと多いように思っていましたが・・・

護摩木も他の家族の分も併せて大量購入し、願い事を・・・。
色々な願い事の項目があるのですね。

家内安全、交通安全、商売繁盛、当病平癒、身体健全、身体健勝、無病息災、息災延命、家運隆昌、学業増進、入試合格、進学成就、良縁成就、安産成就、夫婦円満、子孫繁栄、厄除開運、除災招福、火難消除、社運隆昌、業運繁栄、家業繁栄、道中安全、作業安全、五穀豊穣、大漁満足、心願成就などなど・・・

初めて知った項目も多数。
1枚につき2つまで願い事を記載可能とのこと。
ここで悩む我ら。
みなさんは今年護摩木にどんなお願い事をなさいましたでしょうか?

境内ではおみくじを引く人の長蛇の列が出来ていたので、それならばと私も運試し。
引いてしょんぼり。
「凶」でした。

境内の木にくくりつけ、内容は心のファインダーにそっと納め、今年も気を引き締めなければと心に誓いました。
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ABC
前回の記事は、年賀状の遅配に関して記しましたが、今回は私がやらかしてしまった年賀状にまつわるお話をば。

凄くややこしい話ですので暇なときにご一読頂ければ幸いです。
私はこういう落とし穴があることを全く考えていませんでした。

今後短期間に転居される方は要注意です。

①私は2006年秋にA町からB町に転居、旧宅A町から転居先のB町への転送願はOK(転送期間は1年なので、2007年秋まで)

②普段年賀状のやりとりをしている方が、2006年に親族逝去のために2006年末に喪中葉書を旧宅A町に発送、転送されてB町の住居に届く

②それを受けて、私は2007年の年賀状を未投函(寒中見舞未投函)

③2007年初冬に私はB町からC町に転居、旧宅B町からC町への転送願はOK
 ただ、年末に近いために、賀状を頂く方々への転居のお知らせ葉書は送らず。(この時点で、A町からB町への転送期間は完了)

④2007年度が喪中であった②の人(2006年末喪中投函)は、情報としては2006年の年賀状の住所であるA町の住所が現住所と理解、年賀状の宛先をA町で投函

⑤2007年初冬以降C町に住んでいる私のもとには、2007年初冬迄住んでいたB町からの転送しか届かず、2006年秋まで住んでいたA町に投函された年賀状は「転居先不明」となって差出人に戻る

⑥元旦(遅配がなければ)に私からのC町の住所が記載された年賀状を見てA町からC町に転居していたことを知る

⑦改めてC町へ年賀状を投函してくださった

実は今回数名の方が上記のようなパターンで改めて現住所に年賀状を送って下さいました。

更に複雑なのは、私の年賀状にはいづれも転居した旨は記載していましたが、A町とB町は同区内で、住所も似ていたため見落とされた方も数名いらっしゃって、転居先不明で戻ってきたと連絡を頂きました。

私が一昨年喪中葉書を下さった方々に、寒中見舞いを送り、きちんと転居のお知らせをしていれば、このようなことにならなかったのだと、非常に申し訳ない気持ちで一杯になりました。

こちらをご覧の方で転居先不明でお手元に葉書が戻ってきた方、本当にすみません。

教訓:私のような場合(1年ごとに引越をした)は、時期的に年賀状とも近く、転居のお知らせ葉書を送らないのなら、年明けに必ず寒中見舞いで転居の旨お知らせすること!!

海より深く反省しています。
ということで、昨年末に喪中葉書を下さった方々で、現住所をお知らせしていない方々にはこれから寒中見舞いをお送りしようと思います。

それ以前に転居のお知らせはやはりきちんとしておかないといけないと。
色々とご迷惑をおかけしてすみませんでした。
ねんが

元旦の楽しみといえば御節にお雑煮、そして年賀状です。

年賀状は、普段から密に連絡を取っている人は勿論ですが、遥か彼方から私の元へとやってくる年賀状だってあります。
友達のお子さんの成長など、毎年楽しみにしていたりします。

しかし今年は残念ながら、年賀状を元旦に楽しむことが出来ませんでした。
かなりしょんぼりしました。

巷でも遅配など起きているようですね。
我が家も例外ではありませんでした。

昨秋の転居前に郵便局に転送届けは提出済で、年内に発送された普通郵便は遅れることなくきちんと転送されてきていました。

民営化に伴うシステム変動により、”もしかして届かないことなんて”と脳裏をよぎりましたが、前述の普通郵便が大丈夫だったので私は安心しきっていました。

それなのに。

元旦・・しぃぃん。
3日・・・しぃぃん。
新居の宛先をお知らせしたごく僅かな方のうちでも、元旦にいつも頂くはずなのに届かない。
このまま放っておくとひょっとして郵便局にストックされたままになってしまうかもと焦って連絡し、調査の結果、“転送作業まで手が回っていなくて、旧住所の郵便局から昨日転送手配を取りましたので、今日明日には・・”という回答でした。
しかし届いたのは2日後、つまりは3日後。
12月25日迄に投函して下さった方々の年賀状も転送して下さらないなんてと腑に落ちない気持ちも芽生えましたが、怒っても仕方がないですよね。

結局翌日からほんの数枚づつがポストに。正月休みのラスト配達の5日(土)もごく僅かな枚数しか届かず、明らかにまだ配達されていない年賀状がかなりの数存在することを認識しました。

“・・・正月明けて、仕事始めの日にどかーっとポストに入っているんじゃないの?”と思っていたら、的中。
ごっそり束になって、旧居宛の転送分も、新居宛もまとめて入っていました。

今年は色々な事情から投函を見送っていた(住所が定かでないので相手から賀状を頂き確認してから投函するなど)方が数件あって、その方々の分が7日に届いたので、7日といえば「明けましておめでとう」のタイムリミットでもあるので、私は結局寒中見舞いで出さざるを得ないわけで・・・。

郵政が指定する期日にきちんと投函して下さった方々の分まで恐らく遅配になっている気がします。
折角元旦に届くように送ってくださった方々のご厚意を考えると、申し訳なくて・・・。

きっと色々な事情はおありかと思いますが・・・・
ということで、新システムの来年の活躍に期待します。
家を支える手

気がつけば年末の挨拶の時期を逸し、年始の挨拶を書くはずが、とうとう寒中見舞の時期になってしまいました。

昨年は、例年以上に色々とお世話になり、本当にありがとうございました。
色々な方のさりげない優しさがあたたかく身にしみた1年でした。

今年はほんの少しでもご恩返しが出来ればいいなぁと思います。
地球からすれば、はなくそみたいに小さな1人の人間で、何も出来ませんが、キャロル・キングの歌よろしく、友と呼べる人には遠くからでも何らかのお役に立てればと思います、皆さんが私に投げかけてくださった優しさと同じように。

さて、今年の年末年始は9連休を頂き、何をしようかと思っていたのですが、結局は体が空気のように空間に溶け込むが如くちょんと佇んでいました。

年末年始は両親を呼んで数日間一緒に過ごしました。
家族でテーブルにを囲み、たわいもない会話をしつつ食事を頂くというのは、当たり前といえば当たり前ですが、形にならない幸せを感じます。
大人になるまでは、それが逆にうっとおしいと思う時期もありましたが、この年になると、こうも変わるのかと自分でも成長したなと驚きます。

ふと、両親と、一体あと何回こうやって正月を迎えることが出来るのだろうと冷静に考えてしまいました。

命には限りがあります。
そんなことは百も承知の上ですが、彼らの瞳と手のぬくもりは、願わくばこれから先、少しでも長く感じていたいと思いました。

皆さんはどんな年末年始をお過ごしになりましたでしょうか?

今年1年が、皆さんにとって笑顔が絶えないような365日でありますように。

今年もどうぞよろしくお付き合い下さい。