● ● ● わ に の に わ ● ● ●

音楽やペット、スウィーツ、仕事、介護などを通じて、日々の色々な出来事をつらつらと書いてます。

1964日本選手権1.JPG


・・・・ところで、先般、実家でこんな珍しい物を見つけました。

それも結構きれいな状態で残っていました。


すてっき(亡父)は大のタイガースファンでした。


「1964年度 日本選手権 出場選手メンバー表」というタイトルのパンフレット。

阪神タイガースVS南海ホークスのものです。

表紙には

阪神タイガース:
藤本定義監督(58歳・背番号61)
村山実投手(27歳・背番号11)

南海ホークス:
鶴岡一人監督(47歳・背番号30)
J.スタンカ投手(33歳・背番号6)

そして最も大きく載っているのは
南海ホークス 本塁打王 新主将 野村克也捕手(28歳・背番号19)


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(阪神タイガース陣容。)


1964日本選手権3.JPG
(南海ホークス陣容。)


中には両チームの陣容が記載されていて、恐らく当時の注目選手の顔写真が掲載されています。

阪神タイガース:
吉田義男内野手(30歳・背番号23)
並木輝男外野手(25歳・背番号7)
山内一弘外野手(31歳・背番号8、移籍選手)

南海ホークス:
杉浦忠投手(28歳・背番号21)
杉山光平外野手(36歳・背番号29、移籍選手)
広瀬叙功外野手(27歳・背番号29)
穴吹隆洋内野手(30歳・背番号5)
皆川睦男投手(28歳・背番号22)→1969年までは睦男、以降は睦雄

吉田監督から頂いたサイン入色紙は以前見つけました。

すてっきがまだ元気だったなら、ココメン(やっさん、タケシくん)、そして無類の虎好きのふじをちゃんご夫妻ともきっと話が盛り上がっただろうなぁと思います。

因みに母は南海ホークスのファンです。

このパンフレットは阪神VS南海ですが、1964年度のものですのでまだ二人(両親)は出会っていなかった頃のものでした。
薄茶色の瞳の中に私の影が映っている。

私のほうを見て、私の頬を触っては自分の顔にその手をあてるすてっき。

何度も繰り返す。

あいているほうの手を包んできゅっきゅっと握る私。



薄茶色の瞳の奥には何が記されているのだろう。

現在のことだろうか。

遠い昔のことだろうか。

薄茶色の瞳に映りこむ影。

私は歯をきゅっと見せてにこっと微笑む。



最近は少し元気になってきたすてっき。

それだけで無条件に嬉しい。



すてっきがいる一人用のギャッヂベッドに潜り込み、少し横並びになって添い寝をする。

ひっついて、一緒にテレビを見ているふりをする。

とても狭い空間だが、自分の身体が触れていることで、色々な不安を少しでも和らげるとが出来たらというのが本当の目的である。

その意図を知ってか知らいでか、少し目尻が垂れて、口角がきゅっとあがる。

耳が遠いすてっきがよく理解できるようにと、スケッチブックによく使う言葉とイラストを描いた。

ひと通りの身の世話をするに際して、描いていくと30枚くらいになった。



ひと通りの介護を終えて、翌日のディケアの準備も終えて帰る頃、「また来ます。おやすみなさい。」の紙を見せる。

すてっきの目尻が垂れる。



何度もおでこをさすって、何度も手をきゅっきゅっとしておやすみを言う。

すてっきが私の手を握る。

おやすみを言って、名残惜しそうにしているのは本当はすてっきではなく自分だということを、最近痛感する。



すてっきの笑う顔は家族にとって、小さな幸せのかけら。



実家を出ると、心地よい夜風が首のあたりをさらっていく。

色々な、言葉に出来ない思いが夜空に映し出される帰り道。

そして、乗客の少なくなった電車を乗り継ぎ、家路へと向かう。



途中、大きな駅の改札で、二人の中年男性に遭遇した。

改札を出て、互いに反対の方向へと消えていったが、とてもいい笑顔で別れの挨拶を交わしていた。

その笑顔を見て、私の足取りが軽くなった。



1日の最後に僅かばかりでも笑顔でいられることは、この上ない幸せなのだと思う。


日々こうした小さな幸せを紡いで、自分は生かされているのだと思う。
先週、ようやくすてっきが退院できました。

色々とご心配をおかけしてすみませんでした。

昨年末からですから、かなり長期の入院となり、その間色々な疾患にかかっては治り、かかっては治りの繰り返しでした。

長期間病床にいたため、色々な病を繰り返すたびに徐々に色々な機能が低下してしまい、残念ながら入院前と同じ生活は送れなくなりました。

どれぐらい成果があるのかないのか、現時点では全く未知数ですが、できる限り、ほんのわずかでも現存している機能を少しでも回復させてあげたいと家族で無理のない範囲でやってみようと思います。

今後はショートやディを利用しての基本は在宅介護となる上、体力や機能なども低下しているので、どちらかといえば退院後の今後のほうが、介護者にとっては色々と悩ましいこともでてくるかと思います。
在宅の日は勿論どちらかが休暇を申請しなくてはいけなくなります。

主介護者となる二人、すてっきと同居のごまんそして日々通い介護となる私は、“なるようにしかならないし、今はやれるだけのことをやりたい”と思っています。


介護というものは、ひとくちでは言い表せないくらい結構ヘヴィなこともあったりします。

しかし、それ以前に二人とも根底にあるのは親への恩返しという気持ちでしょうか。

幸いにも、我々兄弟には、父の介護をするという機会が与えられました。

大きくなるまで我々子供達を育ててくれた感謝の気持ち、大人になって親孝行をする機会を与えてもらえたことについて、ラッキーだったと思っています。


昔、年の離れた呑み友達によく言われました。
自分は親に感謝の気持ちも伝えないまま、親を亡くしてしまった。
親が亡くなってからでは遅すぎる。
自分が後悔しないように親孝行だけはしておきなさい、と。
その言葉は未だに頭の中にしっかりと刻まれています。

それ以前に、大好きなんでしょうね。
二人ともすてっきのこと。

特に二人ともファザコンでも何でもないのですが(特に私はどちらにもなびかなかった)、この長期の入院で、今までより更にすてっきへの愛情が深まったというか、我々のかわいこちゃんなんです。

入院中、仕事帰り、病院に顔を出して、その時に一瞬でも笑ってくれたらいいなぁって、1日分の笑顔をそのときまでとっておいたのです。
すてっきとなんとか目があったらその瞬間、もうあふれんばかりの笑顔をして、すてっきを安心させたいと思いました。

これからのことは全くの未知数ですが、家族に与えられたいい機会だと思って前を向いて歩こうと思います。


それと、兄弟が仲良しで同じベクトルに向いていて、本当にこれだけはよかったと思います。

今は二人とも、とにかくすてっきに良い環境、そして仕事をしもっての介護者の我々が倒れないようにお互いにきっちりするところはきっちりと抜け目なく、そして手抜きできるところは手抜きして、疲弊しないように日々相談しあっています。

今は学ぶことが多く、介護ノートに日々のことをこと細やかに記しています。
これが互いに非常に参考になります。

不思議ですが、すてっきの介護をしていることについて、つらい、ではなく楽しいと思える自分がいます。


さて、これから前に進むとします。
足がむくんでいるのでマッサージをする。

ごまんはとても上手にすてっきの足のマッサージをする。

ごまんには叶わないが、私もまけじとすてっきの足をまっさーじまっさぁぁぁじ。

201101すてっきおてて.JPG


足をさすっていると思い出す。

幼い頃の実家の2F。

階段を上りきった真ん前が比較的幼い頃の私がいた部屋。

今年の寒さのように、幼い頃は大阪でも雪が積もり、雪だるまも作ったし、公文塾の帰りに食べた熱々のたい焼きも、凍てつくような寒さが余計にたい焼きを美味しく感じさせた。


真夜中に1Fから2Fにあがってくる足音。

部屋のドアが開く。

2段ベッドの下にいる私の布団の足元からすっと大きな手のひらが入る。

そしてその大きな手のひらが小さな足をさすって暖める。


そして「グンナイ(good night)」といって部屋の扉を閉める。



日々遅くまで仕事に追われ、帰宅したら足元を暖めに来てくれていた。


私は眠っていたのか、起きていたのか、定かではないが、きっと寝たふりをしないと怒られると思って狸寝入りをしていたのかもしれない。



幼い頃の記憶は未だにしっかりと刻まれている。


幼い頃は、末っ子のごまん、そして長男の兄という親から可愛がられるポジションの人々のうしろで、真ん中の私は貧乏くじをひいたかのような影が薄いところもあったと思っていたが、この断片的な記憶を思い出すと、そうではなかったのかもしれないと思うことがある。
すてっきが昨年末から入院しています。


入院中には興味深い現象が起きます。


201101すてっきかきかき.JPG


すてっきとの会話。

すてっきは昔上咽頭癌を治療する際にコバルト照射を行った為、片耳が聴こえません。

そして加齢に伴い、聴こえているほうの耳もほぼ聴こえなくなり、補聴器を装着しています。

しかしそれでも会話を成立させるには難しいときがあります。

そういう時はホワイトボードで筆談するのが効率的、かつ確実に双方の意思が伝わるのでよく利用します。

当然、お米の国の人ですから日本語で筆談をするわけです。

しかしそれが時折すてっきに通じていなさそうなことがあります。

で、ひょっとしてと思い、英語で筆談を始めると、彼もそれについてすらすらと英語で回答します。

前の入院時のことを少し日記で触れましたが、病院内の各施設の英語標記を綺麗な発音で発声したことから、彼にとっては日本語も英語も同じスタンスなんだと理解しました。

昔の職業柄、なのかも知れませんが、よく彼の記憶にしっかり残っているものだと感心してしまいます。

今回の入院も、ここ暫くは英語が彼にとって一番便利なアイテムのようです。

しかし油性マジックで書く彼の文字が小さいこと、そして筆記体であることが、彼が書くスペルの判読に若干難しさを与えています。

そんな時はじーっと彼の書く順番を見ています。

私はもやは英語を使う仕事は何らしていないので、簡単な世間話や若干記憶に残っている、昔使っていた医療のテクニカルタームを使いコミュニケーションを取っています。

昨日は日本語から筆談を始めました。

彼も最初は日本語で答えていましたが、書いている途中から英語に変わりました。

その後、英語でもない言語がでてきました。

想像するに、恐らくドイツ語ではないかと思いますが(違うかもしれませんが)、そうなると私もお手上げです。

長い間英語を使うこともしていないので、私にとってもいい機会ではあります。

彼がきっちり耳から聴き取れるのであれば、口頭での(英語の)会話をすれば更に彼との会話の幅は広がるのだと思います。

人間は不思議な生き物だなぁと、彼が入院して英語を使うたびに思うわけです。
すてっき77


先週日曜は、少し遅くなったすてっきの喜寿祝いを家族で行いました。
すてっきは3月はじめのお誕生日。
既にお誕生日にケーキを用意して行ったのですが、岐阜にいる兄家族も揃ってのお祝いをすることに。


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おちびちゃん達がやってきました。
すてっきも嬉しそうでした。


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私はその日バンドの練習があり遅めの到着となったので、残りの家族で全ての支度を整えてスタンバイしてくれていました(みんな感謝!!)

最初はどこかホテルか飲食店などできちんとお祝いをしようかという話もあがりましたが、同じような家族を持つ方ならお分かりになると思いますが、

① 車椅子対応
② ミキサー食あるいはこちらでその場で加工可能
③ 車椅子対応のトイレ設置
④ 駐車場完備

この4つが最低整っていないとすてっきは外には連れて行けません。
色々なお店を探してみましたが、例えば車椅子対応のトイレがないお店が多く、結局は実家でお祝いをすることに。


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私が不在の間に、色々な食べ物を沢山揃えてくれていました。
お祝いの鯛やケーキも。

誤嚥をするようになってから、大好きだった食事にも制約がかかり、ミキサー食になってからは更に形がなくなったことで、すてっきは視覚からの楽しみも奪われてしまったのですが、今回はお祝いということで、久しぶりに原型のままの飲食物がすてっきの前に並べられました。

さて、総勢9名でのお祝い。
すてっきは久しぶりの視覚からの刺激に、とても嬉しそうでした。
すてっきが欲しいと言ったものを、テーブル脇に私がスタンバイして、それをまな板にのっけてみじん切りにしてすてっきに渡します。
それを少しづつすてっきが食します。
皆わーっと楽しそうにお話していると、ちょっとしたすきに、すてっきが原型のままのものを自分の口に持っていこうとしていたので、慌てて制止して、まな板へGo。
きっと“なんでやねん”と思っていたでしょうが、仕方がないのよ許してね・・・・・

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兄のおちびちゃんが、すてっきにお祝いのイラストそしてこのイラストの下にメッセージをを書いてくれました。
下に書いてくれた文章を読んではっとしました。


「元気になってね。

   ずっと元気でね。

     元気になったら沢山あそんでね。

       ぼくたちのことわすれないでね。」




「ぼくたちのことわすれないでね。」


突き刺さりました。


すてっき777


すてっきは、残念ながら、完全に私のことは忘れてしまったようです。

その代わりに、相変わらず、私の相方の名前はきちんと覚えていてしかもいつも笑顔でお話をします。
それだけでも私にとっては嬉しいことです。

満77歳。

26年前、50歳になってまもなく末期がんで余命3ヶ月という宣告を受けながら、その後回復し、仕事にもきちんと復帰し、その後脳梗塞に3度、肺膿瘍、今年はじめの入院など、何度となく不安な状況に晒されながら、奇跡的にも回復をとげるあなたは強運の持ち主としかいいようがありません。

それだけ、あなたには「生きなさい」という使命が与えられているかも知れません。

それはあなたが昔、色々な人の「生命」にかかわる仕事をしていて、幾許か貢献したからなのかもしれません。
当時、特に高齢のおじいちゃんやおばあちゃんたちを本当に大切にして真剣に向き合っていたことが、今となって雲の上から、その方々が色々と力になってくださっているのかもしれません。

そして、母の大きな影の支えもあったからなのだと思います。

きっと、色々な人から生かされているのだと思います。

これからもますます健やかで、いつもどおり、笑顔で過ごせますように。



そうそう、実は私、あなたの「娘」という存在なのです。

よければまた今日からでも覚えて下さい。

あなたの笑顔を見るだけで幸せになれる人のうちのひとりです。

よければ「おとうさん」と呼ばせて下さいね。

おとうさん、お誕生日おめでとう。
砂場200910

先々週のことです。

Smileの練習の後、すてっきに会いに行きました。

幾許かの希望をもって。

すてっきはこないだよりも目の表情はよくなっていました。

ほっと安心しました。

でも、こないだのことは本当になりました。

相方と一緒に行きましたが、すてっきが大好きな相方のことは認識しているのに、その連れ合いの私のことは忘れてしまいました。

すてっきが永遠に目を閉じてしまう瞬間まで、すてっきの娘でいさせてほしいと思いましたが、どうやらそれは叶わなかったようです。

私を忘れてしまいました。
本当になってしまいました。

あんなに仲良しだったのになぁ・・・・。
どうして忘れてしまったのだろうなぁ・・・。


そんなわけで、先週1週間は心が曇ってかなり落ち込んでしまいました。

これから私はどのような間柄の人間を演じるのがベストなのだろうと、色々考えあぐねていました。
すてっきのお友達でもいい、妹でもいい、とりあえず繋がっていることが大切だからと、そういった気持ちでこの週末、すてっきに会いに行きました。

「お母さんは今日こないの?」から会話は始まりました。

どきどきしながら訊いてみました。
「私が誰だか知っている?」

すてっきは名前を思い出してくれました。

すてっきはクリンビューでこころの曇りガラスを拭いてくれました。

しかし話を聞いていくうちに、名前は思い出したものの、私が娘なのか、妹なのかきちんとした識別は出来ていないようで、更には私の年齢を50歳と勘違いして覚えていました。
兄の年齢よりも遥かに上のその数字、いったいどこで確信を得たのでしょう。

でも、名前を思い出してくれただけで本当に嬉しかったです。
次会う時には、私はすてっきにとってどのような存在になっているのか分かりませんが、とりあえず、すてっきの知り合いの人ということで、まだつながっていられることに感謝です。

昨晩、ちょうど若年性アルツハイマーを題材にした「明日の記憶」の映画の再放送を見て、ラストのほうで、奥さんのこともすっかり忘れてしまい、奥さんが、主人公に分からぬように嗚咽する場面がありましたが、見てられませんでした。

自分の大切な人が自分のことを忘れてしまうのです。

それまでの自分たちが築き上げた時間が脆く崩れ去ってしまうのです。

病気だとはいえ、本当に残酷なことだと思います。


パソコン机の前に、今から33年前に、すてっきが出張先のメキシコから幼い私宛に送ってくれた絵葉書を貼っています。
飛行機を乗り換えてちょうど私の足の下あたりにいるメキシコに着いた、元気にまっていてねと書いています。
伊丹空港に「いたみくうこう」とふりがながふってあります。

確実に父と娘の間柄は、その絵葉書の中では存在しています。
すてっき200910

3連休の最後の日はすてっきでした。

会いに行った時は少しぼんやりしていましたが、手をきゅっきゅっと握ったり、つま先からマッサージをしたり、目や口をつぼめてぱっと開いたりしてねと言って一緒にしていたら、普段のすてっきの表情に戻ってくれました。


こないだすてっきに会った時には私を自分の妹と勘違いしていました。


今回はどうかなと思いましたが、今回も自分の妹と勘違いしていました。




その勘違いは、3度目にはもう勘違いではなく本当になるのでしょう。


1日中ついてあげることができたら、少しでもすてっきの進行を遅らせることが出来るのでしょうか。

1ミリでも私のことを覚えてくれているのでしょうか。


先週に、すてっきの目にうつる心が虚ろになってきたのを感じて、すてっきがこれ以上遠い人になっていくのは、私には耐えられないかも知れないと思いました。

覚悟はしていたはずなのに。


コピーロボット。


普段の仕事とお嫁さんと音楽をする私の他に、もう一人、すてっきや母の傍で愛情を注ぐ私のコピーロボットがほしい。


すてっきの記憶が薄れていく前に、自分が納得のいく親孝行は到底できそうにありません。


パーマン、私の願いごとを訊いてくれないかなぁ。
昨日、Cocodriloの練習の後、実家に帰りすてっきのごはんをこさえていました。
限られた時間で作らないといけないので、コンロ、電子レンジ、ミキサーがフル回転です。

私が台所に立って料理をしていると、ゴトンと物音がしました。
すてっきの部屋のほうからで、気がついたら玄関までつたって来ていました。

おでかけの用意は万端で、今から散歩に行きたいと言いました。

しかし私は「お父さんのごはんの支度をしているからもう少しだけ待っててね」とお願いしますが、すてっきは「うん」とうなずいて、しかし身体は外に出ようとしています。

このやりとりが何度も繰り返されて私もさすがに根負けし、料理の手を止めてすてっきの希望通り、お散歩に出掛けました。

すてっきの車椅子を押していると、歩道の端っこに蝉を発見。
地中から出てきて、間違って歩道にでてきてしまった蝉でした。

もしかして息絶えているのではないかと、ちょんと触るとトコトコ歩き出しました。

この子は大きな木に連れて行ってあげないと。

散歩の前に、大きな木がある所に行ってこの子を放してあげたいと、すてっきに小さなお知らせをしました。

ほっとして蝉を捕獲、私の手の中にいたのですが、ご存知のように蝉の歩行速度はわりと早くて、車椅子を押しながら蝉を落とさないように進むというのがなかなか難しい。

すてっきに、この子を落とさないように暫く預かって欲しいとお願いをすると、大きくうなずいたので、すてっきの手のひらにそおっとのせました。

20090710蝉1

蝉の足取りは思いのほか早いので、すてっきはその子を落とさないように、手を動かします。

すてっきは私に質問をしました。

「これは何なの?」

「これは蝉。」

「蝉やのに羽が生えてないの?」

「これは脱皮して羽根が出てくる前の子やねん。」


ふぅんという顔をしていました。


20090710蝉

そのさまがなんとも可愛らしく、私は暫く眺めていました。

20090710蝉2

そして木につたわせて放しました。

ちょっとづつ、ちょっとづつ、木の上のほうにしっかりと登って行く蝉。


20090710蝉3そういえば、私は小学生の時に、すてっきに「せみの一生」という本を買って貰ったことがありました。

その本を見て、当時子供だった私は、長い間地中で幼少期を過ごすことに比べ、地上で大人として過ごす期間の短いこと、命の儚さに対して、考え込んだ覚えがあります。

昔はすてっきに教えてもらったことなのに、今ではその立場が逆転してしまいました。

そんな時が来るなんて、当たり前のことですが、想像すらつきませんでした。

未だに、すてっきがもし脳梗塞を3度も起こしていなくて、認知症にもなっていなくて、まだ現役で仕事をしていたなら、私はすてっきとどのような関係を築いていたのだろうと思います。

今こういう状態になったことで、更に深く親と向き合うことが出来ているというありがたさはあります。

すてっきがこういう状態にならなければ、私はすてっきと手をつないで一緒にすてっきをついて歩いたり、車椅子の後ろからすてっきに抱きついて人間マフラーをして散歩したりすることも出来なかったはずですから。

でも、空想くらいは罪になりませんよね。

私にとって、すてっきが病と付き合うようになったことは、失ったものもあったけれど、同時に得たものもあったと思います。


着実に小さく一歩一歩足を踏み出して木の上に登って行く蝉を見ながら、すてっきは大きな拍手をしていました。

まるで「今までよく頑張ったね、これから花を咲かせてちょうだいね」と、いわんばかりに。
apple breadpudding

先週末は1週間前倒しで、すてっきの「父の日」のお祝いをしました。

いつも疑問に思うのですが、皆さんは、父の日、どうされていますか?
自分の父と義理の父、1日にまとめてお祝いされますか?
それとも別々の日に設定されますか?

さて、私は自宅ですてっき用の介護食のストックをいくつかこさえた後、お祝い用に、細かく刻んだりんごのコンポートを入れた大きなパンプディングを作りました。

パンプディングといえば、いつもは私好みビターに焦がしたカラメルソースを入れますが、甘いのが好きなすてっき用に、今回はカラメルソース抜き。

ほんのり素朴な甘い仕上がりに、すてっきは大満足の様子。
ご機嫌のすてっきとの会話ははずみました。

色々な会話をすてっきとしているうちに、すてっきと昨年の入院中によくやった英語の筆談を、ホワイトボードですることに。
(すてっきは片耳が殆ど聞こえないので、文字にして伝えたほうが解ってもらえます)

すると、英語よりもドイツ語のほうが得意だと言い出しました。

ん?ドイツ語? 今までそんなこと言わなかったのに・・もしかして・・・・・

彼の記憶の糸を手繰り寄せるべく、アウトラインから色々な質問をぶつけてみました。

すてっきは口頭で回答しました。

すてっきの記憶の中で糸が途絶えてしまった部分に私は恐々手を伸ばしてみました。

もう何年も前から消え去ってしまったことで、みんながあきらめていたこと。

ホワイトボードに英語で書きました。

鰐: ”あなたの職業は何でしたか?”

すてっき: ”教師”

・・・思い出している・・・確かにその専門の生徒さんを教えていた。
しかし大元の職業は覚えているだろうか・・・・

鰐: ”もうひとつの職業は何ですか?”

すてっき: ”医師”

うっわ~!!!!
ドイツ語ときて、もしやと思ったこと(カルテはドイツ語書きなので)がビンゴでした。

なんともいえない喜びがこみ上げてきました。


質問を続けました。

鰐: ”あなたの専門は何でしたか?”

すてっき: ”外科、内科、整形、ペイン、鍼灸・・・・・・”

英語で書いて、きっちりと発音してくれました。
鍼灸の英語が分からず、すてっきが書いてくれた単語を見て、あ、そうや、そうそう、見たことあるなぁと思い出しました。

鰐: ”あなたはどこで働いていましたか?”

すてっき: ”○○大学”

・・・・・泣きそうになりました。

ずっと思い出せなかったのに。
思い出すと、すてっきには余計辛い事かも知れないと思い(仕事一筋だったすてっきから、脳梗塞のために、人の命を預かる仕事を取り上げた時は本当に辛かったです)、家族は忘れてくれていたほうが幸せだとあまり今まで追求しませんでした。

すてっき。

思い出したのね。

すてっきとマンツーマンだったら恐らく大泣きしていたと思います。

気がつけば時間は19時半近くになっていました。

この日枝龍のベニエ座さんのライヴを観に行くことになっていたので、すてっきの様子に驚く母と、楽しそうな表情を浮かべたすてっきにバイバイと笑って手を振って、急いでGris Grisに車でGoしました。

いやぁ・・・・・・本当に、本当に嬉しかった。

すてっき。

思い出したのね。

でも思い出すのは一瞬で、恐らく次の日にはまた記憶の奥底に潜り込んでしまうのだろうと思います。

でも手繰ればまだ糸は繫がっていたということ、我々家族には大きな喜びでした。


さて、ベニエ座さんのライヴの会場、Gris Grisに到着すると、まるで満員電車のような大盛況。
お店の中に入りきれない人も。

留学生を教える先生であるサックスのYuchariさんの生徒さんが沢山駆けつけていらして(凄い人気でした!!)、会場は日本語・中国語が飛び交うインターナショナルな空間となっていました。
彼ら、凄く凄くノリがよくて、ベニエ座さんのご機嫌な演奏に更にヒートアップさせる熱気を送り込んでいました。
またそこにVoのキャロさんの面白い炸裂トークがのっかって、かなり楽しいライヴでした!!

言うまでもなく、Smile影番(ベニエ座では裏番だそうです)の枝龍も冴えわたっていました。
どんどんかっこよくなっていく枝龍姐さんです。

満員電車状態の私も大いに楽しませて頂きました。

ただ、あまりにも人が多くて、枝龍のショットを中心に、ベニエ座さんの演奏のショットを撮影出来なかったことでしょうか。
背が低いとこういう悲しいこともあり・・・・む~残念。

そしてライヴを観に来ていたMegさんからお土産に頂いたのが京都の「ちご餅」。

20090613ちご餅1

厄を除き福を招くと書かれたこのお餅、元々は祇園祭りの際の稚児の儀式にちなんだものだそうです。

20090613ちご餅2

あっさりした甘さの白味噌が求肥に包まれたシンプルなつくりで、これは甘いものが苦手な人も全く問題ない、いくつでも食べれそうな和菓子でした。
Megさんご馳走様でした!!

ライヴ後はスミさん、ガミィさん、タケシくんと音楽やら阪神やら色々な話で盛り上がり、気がつくと23時。
ガミィさんには8月登板予定のCocodriloの新曲のヒントをお伝えしたところでタイムオーバー。

この日はすてっきのサプライズ、そしてベニエ座さんのグルーヴィなライヴ、Megさんからの和菓子のお土産と、楽しい酒とお話で、大満足の1日でした。
少しのかたまりでさえ誤嚥してしまう危険性がある人は、すべて刻んでから食べる「きざみ食」だったり、あるいは「ミキサー食」といわれる、つまりは食べ物を全て最後にミキサーにかけるものしか食べることが出来ません。

飲み物も、普通の水はだめなのです、さらっとしているから。
落ちる速度が速すぎて、誤嚥する可能性が高いからです。
全てにとろみをつけないとえらいことになってしまうのです。
お茶を飲むにしてもトロミ製剤を加えてとろとろにしてから飲みます。
お味噌汁もそう。

ご飯もおかずもそう。
とろみがないと、いいタイミングでうまく流れ込んでくれないから、あったかい料理は片栗粉でトロミをつけて、冷たいものはトロミ製剤を加えてとろとろにします。

誤嚥して、肺炎起こして入院なんて、普通なのです。

我々は普通になんてことなしに食事をしますが、誤嚥の可能性がある人は、食べることも命がけです。

まだすてっきはそこまではいきませんが、あれだけ食べることが大好きだっただけに、色々な食べ物に制約がかかり食べられなくなってしまったのは本当に可哀想だなぁと思います。

すてっきを見ていると、普通に食事を摂ることが出来ることは本当に有難いと感じます。


さて、すてっきは、現在殆どをそのミキサー食で食べています。

普段は同居している母とごまんがこさえてくれます(いつもありがとう!)。
そして私が実家に行く時は、普段作れないこともあり、3~4時間キッチンにこもり、まとめて色々なバリエーションのミキサー食を作ります。


そして、嚥下困難になった高齢者などの食事メニューとしてよく出るのが「パン粥」。

このパン粥、普通はパンを細かくちぎって牛乳とトロミ、そしてお好みのフレーバー(ブイヨンやコンソメや)を入れて、コトコト煮込んだものです。
すてっきはその後ミキサーで形がなくなるまで崩します。

基本、甘い味ではなく、ご飯の代わりとして作るものなのですが、すてっき、私が実家に行く時にまとめて介護食を作る際、いつも何かしらスイーツを作って出すので、私が実家に行くと必ず甘いものが出てくると思っているらしく、この週末もすてっきは

"あまいの ちょうだい”

と言いました。

その時既にりんごとオレンジのムースは作っていたのですが、他に何かないかなぁと。。。

そうそう、パン粉があった。

ということで、パンではなくパン粉でパン粥のスイーツ。

分量はいつも通り、男の料理。

パン粉と牛乳と卵と三温糖、そしてオレンジキュラソーとキルシュワッサー。

フライパンに入れてていねいにへらでかき混ぜながらコトコト煮込むと、ぷるんぷるんでとてもいい香りがキッチンに広がりました。

見た目はどろどろっとしている生成り色の物体なのですが、味見をしてみると、これが十分美味しい。
勿論、焼きたてのパンで作るパン粥に比べたら劣るのかもしれないですが、オレンジ風味の柔らかいパンプディングを作っているみたい。

普通のパンでパン粥を作る場合は、最後はやはりミキサーを使わないといけないので、時間がない時はひと手間省いてパン粉で作りましょう。

ところでこの介護食。
私は普通の食事を作るよりもなんだか楽しいのです。

私はすてっきと同居しているわけではないので、行けるときにまとめて大量にストック分を作るので、その豪快さが爽快なのと、今まで普通の料理をしていた時と全く勝手が違うので、私にとってはまるで工作しているような感じで、これとこれを組み合わせたらどうなる?とか、これ使ってみたらどうなる?とかを考えて想像力がふくらんでいくのがとても楽しいのです。

形がないので、出来るだけ色と味と匂いはおいしそうに出来たらなぁって思います。

未だ未知数の介護食。
その日の気分で色々な組み合わせ、楽しいです。

人間マフラーすてっきを連れてごまんと3人で散歩に出掛けました。

この日のすてっき、身体がしっかりしていました。
公園の遊具もしっかりと握って動かしていました。

最近少し涼しくなりました。
高齢者は体温調節が難しいのですが、我々が「少し涼しいね」が、すてっきにとっては「寒い」になります。
車椅子ですてっき、ごまんと3人で散歩していたら、すてっきが「寒い」と言い出しました。
しかし上着は家に置いてきました。

そこで即席人間マフラー。
背後からすてっきに抱きついて、両手をきゅうっと握ると、暖かいのかすってっきは喜んでました。

私はすてっきが1回目の脳梗塞を起こしてから、すてっきと手をつないで歩くことが多くなりましたが、「手をつなぐ」っていうのはいいものですね。

いつも顔を合わせるとつい喧嘩をしてしまう母も、いつか私と手をつないでくれるのでしょうか。

・・私は若干前傾姿勢のまま車椅子を押し続けました。
はたから見ると奇妙な光景です。

ということで、徐々に寒くなってまいりました。
季節の変わり目、皆様お互いに風邪ひきさんに気をつけましょうね。
病院にて

3月に入院したすてっきは、6月のあたまに退院しました。
皆様色々とご心配をおかけしてすみませんでした。

症状は劇的に快方に向かうわけではなく、どちらかといえば、これから肉体的にも、そして精神的にも非常に緩やかな坂道を下ることになると思いますが、坂道を下る父親の姿をそばで見ている時に、ふと元気だった頃のことがフラッシュバックする瞬間に、色々と複雑な気持ちになりますが、しかしこういう機会に改めて家族の絆の深さを知る幸せもよいものですね。

先も長いですから、いきなりアクセルをふかさずにこれからは介護される側(すてっき)と介護する側(家族)のチームワークを高めて、皆で協力していきたいと思います。

「がんばらない介護」という言葉をよく耳にしますが、まさにそうだと思います。
介護される人にも介護をする側にも人生や日々の生活がある。
家族一人一人がお互いに自分の生活や人生を尊重し助け合わないといつか破綻してしまう、最近はそれを痛感します。

名犬ジョリー」の歌ではありませんが、“ジョリーとふたりではんぶんこ”の気持ちで、色々なことをみんなで等分に分け合えるように、すてっきと同居していない私は、同居している他の家族の負担を少しでも軽減出来るように、こんなときくらいは長女らしく色々と機転をきかさないと・・と思います。

それと、退院後に介護の級が5級になり、すてっきが利用可能なサービスも多くなったので、活用できるものは活用して、全てを家族で背負うことをせず、介護側も自分の時間を大切にする、介護疲れなどを極力ためないようにすることをお互いに心がけたいと思います。

介護については今年に入って本当に色々なことを学ぶ機会があります。
これからぽちぽちと、ごまんや私がぶつかったり学んだことをお伝えしていけたらと思います。

家族同様、兄弟がいることの有難さもひしひしと感じています。
兄弟は、同じ母親の産道を通過してこの世に生まれてきますが、何と言うか、同じ産道を通ってきた見えない何かがしっかりと働いている気がします。
同じ温度で物事を感じたり進めることが出来るのはありがたいです。
有難いことです。
兄弟を3人産んでくれた両親に感謝します。

何はともあれ、長い道程を、家族で手をつなぐような感覚で。

親孝行、いや違うなぁ、育ててくれた恩返しはいくらしてもし足りません。
親はそれだけのことをしてくれたから。
まだまだです、自分は。
すてっきは認知症になってから、妹のごまんのことを実の自分の妹、そして兄のことも実の自分の弟、つまりは我々にとっては叔父叔母にあたる人間と混同することが多かったのですが、ちょっと前に遡りますが、更なる進展がありました。

その頃、どうやらごまんことを、「フク」という名前として認識し始めていました。

それはいつ訊いてもそうであるということではないのですが、かなりの確率で「ごまん=フクちゃん」の図式が成り立っているようでした。

ここで、私のブログをお読み下さっている方々はピンときたのではと思います。
そう、「フクちゃん」とは、私が14年間飼っていた愛犬の「福」と同じ名前なのです。

最近、私が筆談ですてっきと会話をした際、“私の飼っていた犬の名前を覚えていますか?”
と尋ねたら、 “フクちゃん”と答えてくれたのです。
娘のごまんよりもしっかりと記憶しているので、私は驚きました。


それからなのです、ごまんが「フクちゃん」という名前にすり替わったのは。


その後、兄弟3人がすてっきの病室で揃った際も、ごまんの名前は「フク」でした。

すてっきにとって、とても大切な存在で、可愛らしいという点ではごまんも福も同じなのですが、動物と人間をどうして記憶違いしているのか、なぞは解けません。

それ以前に、すてっきの言うところの「フク」は、私たち家族が知っている、犬の「福」なのかすら分かりません。

そして数日後。
またすてっきの前に大学ノートを開けて筆談を始めました。

「今日の体調はいかがですか?」

“Good!!”

英語で答え始めたので、それ以降は英語での筆談となりました。
私の質問にもきちんと英語で回答してくれていました。


ここで私は好きな動物に関して訊いてみました。
返ってきた答えは”Small dog”。

続けて、私は福のことを覚えているか確認をしてみました。
すると覚えていて、しかも可愛らしいと答えました。

更に核心をつくべく、私は次の質問をしました。

「ところで、私の妹の名前は覚えていますか?」

すてっきが記したのは“フクちゃん”

そして“かわいらしい”と。


悩みましたが、更に核心をつく質問をしました。

「福ちゃんの絵を描いてください」

するとすてっきは人間の顔を描きました。
造作はごまんに似ています。
明らかに犬ではなく人間なのです。
少々団子のお鼻も、福耳も、ごまんそのものなのです。

そして決定付けるために、私は絵の横に「→なまえは?」と書きました。

するとすてっきは“フクです”と書きました。

妹はフクちゃん



「ごまん=フクちゃん」の図式が完成しました。



あまりにもすてっきが笑顔でいるもんだから、私はすてっきを正すことが出来ませんでした。

帰り際に、「それじゃあ、フクちゃんにこれ見せておくね!」
と言うと、すてっきはとても嬉しそうに笑っていました。

ひょっとしたら、すてっきの知り合いに、私たち家族が知らない「フクちゃん」という人間が存在したのかもしれません。
その方がたまたまごまんに似ていたのかもしれません。

しかし我々の見解は、「ごまんとフクちゃんはすてっきにとってとても大切でいて可愛らしい存在という点は共通しているけれど、きっと合体して記憶が新たにすりかわったのだろう」です。


そして後日、すてっきの「いい日」の時、ごまんと二人で、ごまんの名前をきいてみました。

すると、ちゃんと本当の名前を答えてくれました。
すかさず大学ノートの過去のやりとりをさしてみると、

”これおかしいなぁ!!”と。

その時は、名前と人物が一致したようでしたが、病室を去る際に、また同じ質問をしてみると、

”・・・・・・”

少し考えていました。


記憶の断片化と刷り込みが交錯している、どこかであやとりの糸が絡まっているのでしょうか。

姉妹の似顔絵の比較をしてみました。

まずは妹のごまん。
お鼻とお耳がポイント。

20080508ごまんの似顔絵



そして私。
大きな口と小さな耳がポイント。

20080508わたしの似顔絵



きちんと描きわけています。

ごまんのお鼻・・・斬新です。

現在は「フクちゃん」の存在は消え去って、きちんと「ごまん」が存在しています。

まだら痴呆・・・というのは本当に不思議です。
随分前の記事でも書きましたが、すてっきは脳梗塞の後遺症で、認知症があります。
それも「まだらぼけ」と言われる、認知症と、そうでないとてもしっかりとした状態がその日、時間によって交代して現れます。

少しづつ、少しづつ、色々なことが彼の記憶から消えていきます。

例えば人の名前。

最初に、すてっきは自分の娘であるごまんを、自分の妹と勘違いしました。
さすがにごまんはショックを受けていました。

その次は兄の名前を思い出せなくなりました。

でもそれはその日のコンディションによるもので、「まだら」でないときはきっちりと思い出してくれます。
そんな中で私の名前はいつも忘れず覚えていてくれました。
理由を推測するに、私は大学時代と社会人時代で通算4年間、すてっきの仕事と体調の関係で、父子みずいらずの二人暮らしをしていました。
だから、他の兄弟よりすてっきとさしでの思い出が多いのです。

あと、不思議であり興味深いのが、私の相方の名前。
血もつな;がっていない義理の息子の名前を、すてっきはいつもしっかりと覚えています。

入院してから、認知症が更に酷くなったのですが、入院するまでは、私がすてっきに会いに行くと、必ず言うことが

「○○くんと仲良くやっているか?」
「○○くんは元気にしてる?」

と、名前をちゃんと記憶していて、本当にお気に入りのようなのです。

ですから、私の相方がすてっきにたまに会いに行くと、すてっきの表情は本当に分かりやすく、無防備な子供の表情でニコニコとします。

と、まぁそんな感じであったのですが、過日、とうとうやってきました。
すてっきの記憶から私の名前が消え去ってしまいました。

「おとうさん、私の名前を思い出せるかな?」

車椅子に座ったすてっきは、少しうつむいて、よく見ると、足先をもじもじとさせていました。

”この人は自分にとって大切な人で、絶対思い出さなければいけないのだ”という意識があるからなのでしょうか。

私はすてっきにとても悪いことをしたと思い、

「またいつか思い出してくれたら教えてね。」

と言って、すてっきと別のお話をしていると、5分くらいたってから、突然、ハッとした顔をして私の名前を叫びました。

とても嬉しかったです。

しかし、これから先、私の名前が本当に彼の記憶から消えてしまうのはそう遠くはないことを悟りました。
哀しい予感でした。


すてっきの色々な身体の状況はその日によっても、時間によってもかなりの波があります。

その数日後のこと。
その日のすてっきはたまたま「悪い日」で、発声自体難しくなっていました。

それでもすてっきとコミュニケーションをとりたい私は、大学ノートを引っ張り出して、すてっきと筆談で会話をすることにしました。

今日は私の名前を覚えていてくれることを祈りながら、

「私の名前を覚えていますか?」

と書きました。

すると、すてっきは

「よく おぼえています」

私が「書いて」とお願いすると、

すてっきが、私の名前を書いてくれました。
文字になると、嬉しさは増しました。

念押しのために、この名前の人は誰ですかと尋ねると

”やさしい子”

そして、名前の横に

”いちばんかわいいよ” 

そう記して私のほうを、とびきりの子供のような笑顔で見つめるのです。




ずるいなぁ、なんて顔するの、すてっき。

私はうつむいて、涙をぬぐうのに必死でした。


父の記憶に、少しでも多く家族の思い出を残してあげたいと思います。

そして私もいつまでも覚えていてもらえるように、愛情を注ごうと思います。

すてっきの横顔200805
おしえてくれる4月の櫻の季節、少し元気が出てきたすてっきの気分転換にと、院内を車椅子で散歩していました。

その頃は病院の廊下の窓からちらっと見える櫻を二人で愛でたり、夜間誰もいない総合受付の広いスペースに行って、足のマッサージ(かなりむくんでいます)やお話、本を見せたりしていました。

ふと、すてっきに標識を読んでもらおうと思いました。

すると、英語のほうを読むのです、しかも的確な発音で。
これには驚きました。

ちゃんと覚えているのです。

ちょっと嬉しくなりました。

嬉しくなって、色々なところの標識の前に連れて行って
”お父さん、これはなんて書いてるの?私に教えて!”

とお願いすると、きっちり書いている英語を発音する。

そういうことがあったので、食事の際に英語で簡単な会話をしてみようとトライしてみました。

”どんな食べ物が好き?”

”今は何が食べたい?”

”次はどれが食べたい?”

などなど。

すると、すてっきは横着をします。

私の話す英語の内容は理解しているようで、それに対して英語ではなく身振りなどで答えるのです。
パンダのたからもの

今回の入院で、すてっきが結構な嚥下障害(飲食物を飲み込む際に間違って気管に入れてしまうとか、うまく飲み込むことが出来ないなどの症状)を起こしていることを、病院のST(言語療法士)の先生から知らされました。

しかしその後の精密な検査で、嚥下障害は起こしているものの、それよりも、口腔内に食べ物をかなりためこまないと食道に落ちていかないため、口腔内に食べ物を貯蔵するような仕組みになっているようで、それがあとでむせなどに繋がっているそうです。
まるでリスのようです。
いづれにしても、食事は誰かが付き添わないと、誤嚥する可能性が高く、毎食、誰かが付き添うことになりました。

入院するまでは、いわゆる嚥下障害の人には不向きとされるようなごくごく普通の飲食物を(トロミのないさらっとした飲み物、パンなど)、特に問題もなく普通に食していたのですが、入院をきっかけに、飲食物には全てとろみをつけることになりました。

水で、そんなんすって飲めるやん、て思いますよね。
これが高齢者などの嚥下障害を持つ人には危険なアイテムなんです。
飲み込むと即座に喉の奥に落ちていく=誤嚥しやすいらしく、水をはじめ、お茶、ジュース、味噌汁にいたるまで、とろみが簡単につけれる粉末のとろみ剤があって、それを入れてかき混ぜて与えています。
食べ物も、そんな感じで、ゆっくりとなめらかに喉を通っていくように工夫されています。

STの先生に教わったのは、すてっきが食べ物を食べた(現在はスプーンで小さく一口づつ家族かSTの先生、看護士の方が与えています)時は、すてっきの首元に指をあてて、ちゃんと飲み込んだかを確認し、その後“アーって言って”と言ってすてっきに言葉を発してもらっています。

ある日の食事の際、いつものようにすてっきの口にスプーンで食べ物を運んで、飲み込んだことを確認した後に、
“おとうさん、アーって言って”とお願いしてみました。

するとすてっきは、突然

「ぱぁんんだぁぁの たぁぁかぁぁらぁぁもぉぉの! (パンダのたからもの)」
と言いました。

どうしてその言葉が出てきたのか不思議なのですが、何度聞いても、すてっきの答えは

「ぱぁんんだぁぁの たぁぁかぁぁらぁぁもぉぉの! 」

なんとも可愛らしい。

ひょっとしたら、いつもお世話になっているディサービスで、そのような言葉の何かが交わされているのかも知れません。

パンダのたからもの・・・・・・

笹?
すてっき入院1

話は2ヶ月前に遡ります。

3月の下旬、夜中に突然入院したわが父すてっき。

3度目の脳梗塞ではないかと非常に心配しましたが、幸い大きな梗塞ではなかったので、とりあえずはほっとしたのもつかの間。
処置として点滴を始終入れているため、排尿は不可欠。
普段、夜中に3回くらいはトイレのために起きていたすてっきですが、トイレは自力で行きたい派なので、歩行にステッキが必要なすてっきは、夜間は壁づたいに這ってトイレまで行っていました。
介護パンツ(おむつ)をつけてもその中では絶対したくない派なのです。

入院した夜中、状態が落ちついたと思い、私を含めた家族は3時くらいに病院から退散しました。
そしたら数時間後に病院からの電話が。
すてっきがカテーテルも点滴もはずしました。
駆けつけたらベッドやシーツに血がとんでいました。

カテーテルが×、オムツも×、ということで、家族や看護士の説得にも関わらず、どうしてもオムツではしたくないということで、少ししか動けない身体を、フラフラになりながらベッドから降りて、個室のトイレに移動しようとするのです。

点滴は24時間だったので、つまりは尿意を24時間感じているので、すてっきが尿意を感じ、ちらっと動きを見せると、家族はその都度ベッドからトイレまで、すてっきが転倒しないように付き添い、そしてパッドやおむつなどを交換して、ベッドに寝かせると、またすぐにトイレ・・・という状況が続きました。

誤ってベッドから転倒してしまうと全てが台無しなので、結局家族で24時間体制で付き添いをすることにしました。

前述のように、すてっき自身、24時間尿意におそわれていることもあり、不眠状態が続いていますが、実際付き添っている家族も同じように24時間寝ずに見守っているわけで(付き添いベッドは設置されているものの、横になっているだけで、すてっきがゴソッと物音をさせると、すぐに飛び起きて介助)、これはかなりきついことでした。

母が腰痛を起こしているので、結局付き添いはごまんと私の2人でシフトを組むことにしたのですが、二人とも会社員なので、ずっと仕事を休むことは不可能です。
そして交互に会社を休むことにして、仕事をしながらこんな感じの地獄のようなシフトを組んでいました。

起床→出勤→仕事→病院にて付き添い→徹夜→翌日の晩まで付き添い→数時間仮眠

つまりは40数時間を起きっぱなしで、数時間のみ仮眠するといった感じでした。
高校生や大学生なら耐えうるかも知れないような過酷なサイクルです。

そしてついていないことに、病院内は非常に乾燥しているので、体調を壊し易く、結局ごまんが1週間、その後、私の順で風邪をこじらせてしまいました。

私は4月のベロニカでのライヴ前の1週間、咳が止まらなくなり、かなりナーバスになっておりましたが、幸い本番は咳で苦しむことなく臨めたのは、本当にラッキーとしか言いようがありません。(その後更に諸症状が悪化して、5月の高槻ジャズストでは本番まで声が出るかでないか、ばくちのような状態でしたが・・)

さすがに家族が体調を壊していくさまを見て、病院スタッフの方々が現在ではかなり重点的に介助してくださるおかげで、夜間のシフトはなくなりました。

介護をする側もかなり楽になりました。

暫くは会社を休みつつ、仕事がある日は仕事帰りにすてっきに会いに行くという日が続きました。

そして2ヶ月が経過し、現在は点滴もなく、すてっきも随分落ち着いてはきていますが、日によって「いい日」と「よくない日」があり、いくつかの問題は抱えたままです。


ということで、話が前後したりするかも知れないですが、これから少しづつ、すてっきのことを書いていこうと思います。
すてっきと机越しにお話していたら、机にサインペンがあったので、すてっきの似顔絵を描いてみることにしました。

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若干若すぎてかっこよすぎです。
まだしゃっきりしていた頃のすてっきに近いです。

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これは年齢的には近いけれど、かなり脱力系です。

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む~、これのちょうど真ん中くらいがよいでしょうか・・。
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この世に生を受けて73回目の春を迎えたすてっきは、遠ざかる飛行機をぼんやりと眺めて何を思うのでしょう。

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逆光に写るすてっきは、春の日差しのようにやわらかな微笑みを私にむけてくれました。

”○○(私)は幸せか?”とか

”だんなさんと仲良く暮らしているか?”とか

ごく普通の会話なのですが、会うたびに、いつも私と相方を気遣ってくれることが嬉しいと感じます。

”うん、仲良しよ、大切にしてもらってるよ”と答えると笑顔で小さくうなずくすてっき。
まるで自分のことのように嬉しそうな表情。

ありがとうね。救われます。

すてっきの子供である私がすてっきや母に出来る恩返しとは、形に見えることだけでなく、私がささやかでも日々幸せに暮らしているという見えない証を示すこと。

私はあと何回すてっきのお祝いをすることができるのでしょう。
すてっきはあと何回、私に幸せかと訊いてくれるのでしょう。

どんどん年老いていく父親に、どうか健やかに長生きして欲しいと、青空に声にならない声で祈りを捧げました。