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音楽やペット、スウィーツ、仕事、介護などを通じて、日々の色々な出来事をつらつらと書いてます。

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母が夏に傘寿を迎えたのですが、その数日前、母が友人と共に美容院を訪れ、その際、客として来ていた女性のヘアスタイルを見て、「あの人と同じスタイルに」とオーダーしたそうです。

しかしオーダー通りにカットされた母のヘアスタイルは、どうやら母の思惑通りではなかったようでした。

数日後、傘寿の祝いの会を控えていた母が、「どうしよう・・・カツラ買おうかな」と電話をかけてきたのですが、普段から大げさな物言いの母なので、まぁ7割くらいに聞いておいたらいいと思って迎えた祝いの日。



絶句。

なんというのでしょう・・・

しいて言えば”チリチリでテクノ”。

私が母の子供として物心ついた頃から見てきた歴代のヘアスタイルの中で、断然最下位。

どうしてこんなオーダーをかけたのか。

そしてどうしてこんなチリチリにあてられたのか。

更には美容院のスタッフさんはこのヘアスタイルを見て何も感じなかったのかなと。

もっと言えば、その”モデル”となった人物のヘアスタイルが非常に気になりました。

もしかしたらゴリゴリの大阪のおかんのような人だったのかもしれない・・・・。

お母さんどうしてそれをチョイスした・・・・。


自分の口から出た言葉が招いた結果とはいえ、母がちょっと気の毒になりました。


そして2か月弱が経過して、ある程度髪も伸びてさばきやすくなってきたため、散髪屋さん(私)の登場。

まずはバランスが常識を逸した比率だったために、後方のトップに重点を置き、後はかなりスリムにカットしました。

まだまだパーマは残っているため、ギューギューに髪を伸ばしてセットしてみました。

衝撃のヘアスタイルからはましになりました。


201510kawaikochan1.JPG


こんな感じ。

ちなみに特に逆毛を立てたりスプレーをふってはいません。


あとは母がこの状態をキープしてくれることを祈るばかり。


・・・・たのむでお母さん。


今回のことに懲りたのか、「もうこれからはあんたにお願いするわ。」と言ってくれました。

それでよし。
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201508mom


少し前に、母が傘寿を迎えた。


健やかで、ご飯も美味しく味わうことが出来ること。

そして、ほんのすこしづつでいいので、母がクスッと笑顔になれるような日々が訪れること。

そんなことを祈りつつ。


贈った80本の紫の薔薇を見て、その”1本1本”が、母の人生の”1年1年”なんだと思うと、自分にとっても非常に感慨深いものに思えた。

その80本のうちの1本の年に、私があなたによってこの世に生を受けることが出来たということは、まぎれもない真実で、自分が死ぬまで一生感謝し尽くしても足りないことなのだと改めて感じた。

頂いた命は大切にしないといけない。

爪先から頭のてっぺんまで。

だから私も健やかに、無事で、そして美味しくご飯を味わえる日を送らないと、大変な思いをして育ててくれた母や、亡くなったすてっきに悪い。


さて、これからどうやって恩返ししようか。


私の口は悪いけれど、お母さんに本心が伝わっていればいいな。

ほんとは大好きなのよ。

大好きだから口が悪いのよ。


お誕生日おめでとう。
先週のある晩、従兄弟から電話があった。

用件のみ手短に伝えて切れた電話。

その内容があまりにも突然過ぎて、私の心は一生懸命その意味を理解しようとする。



私の従兄弟でもあり、電話の彼の弟が35歳という若さで、何の前触れもなく夭折した。

いくつか疾患を抱えていたとはいえ、最近まで元気にすごしていたという。

こんな突然の別れ。



絶句した。



私には父母それぞれのつながりの従兄弟がいるが、私にとって、実際に繋がっていて互いに気にかける間柄は彼らだけだった。

彼の夭折について深い悲しみを覚えたが、同時に、兄弟を失ってしまったお兄ちゃんのほうがどうにかなるのではないかと、とにかく心配で仕方なかった。

ずっと、幼い頃から現在に至るまで、私の妹ごまんのすぐ下に彼らがいるような感覚で生きてきた。

とにかく彼や叔母の支えに何とかなりたいと思った。



子供を失う母の悲しみは計り知れない。

亡くなった従兄弟は遠方に住んでいたため、残念ながら彼の死に目に間に合わなかった。

しかし、きっとこれは亡くなった彼がそうさせたのかもしれないが、GW中に叔母は彼と会う機会があり、彼はその時本当に元気そうで、そしていつものように笑顔であったらしく、叔母にはその姿が彼の最後の姿となって刻まれた。

叔母は楽しそうな彼の姿を最後に見れて本当に良かったと言った。

彼の笑う姿が一生叔母の胸に生き続ける。



私は自分の身近にいる人について、数名、昔のままのイメージが未だ褪せずにだぶって見える。

私にとって、その数名が、妹のごまんであったり、従兄弟たちであったりする。

そういった理由から、私は幼い頃に彼らと遊んだ際、大きな瞳をキョロキョロとしてニーっと口角をあげて笑っている彼のイメージしかない。



棺の中の彼を見た。

やはり幼い頃の笑っている彼がまず目の前に現れる。

しかしその姿がふと消え現実の彼に直面すると、彼の死に顔も笑顔なのだ。

目も口元も笑っている。

昔のままなのだ。

心臓の奥のほうに痛みを覚え、息ができない。

声も出ないくらいにひっそりと泣いた。



お通夜の晩、彼の亡骸のそばで、従兄弟、そして私と兄は添い寝をした。

送り出す最後の晩は従兄弟達と一緒に過したいと思っていた、ありがたかった。

色んな話をした。




いよいよ天国へ送り出す日。

彼に「おはよう」と声をかけた。

朝から辺りは晴れわたっている。

まるで亡くなった彼の笑顔のようにまぶしささえ感じた。




彼の戒名の中には「笑」という文字があった。

誰もが納得した。

彼の笑顔は人々の心に宿り、いつまでもその姿は褪せないのだと思った。




旅立ちの際、私はありったけの笑顔で彼を見送るつもりでいた。

彼が笑顔で皆にお別れを言っているのだから、私も笑顔でお別れをしないと。

棺の中に、沢山の花が手向けられていく。

彼の顔以外が花ですっぽり覆われた姿を見て、いよいよお別れの時なのだと実感した瞬間、私は笑っているが涙腺の扉はもはや制御不能でとめどもなく涙が溢れ出てしまった。



多くの人に笑顔で最後のお別れの挨拶をして、彼は遠い遠い天国へと旅立った。




葬式の翌日、叔母と電話で話をした。

彼女は言った。

「わたしね、あの子を育てて、本当に幸せやったと思うの。本当によかったと思うの。」

彼女の声を聞いて、彼女が微笑みながら話していることが手に取るようにわかった。



彼の笑顔はいつまでも人々の心に生き続ける。
今年の師走、スタートはEddi Readerの素晴らしいコンサートでいい年の締めくくりが出来そうだなぁと思っていた矢先のコンサート翌日、母が転倒したはずみにメガネの玉を割り、目尻少し下から10針も縫う傷を負ってしまいました。

幸い目の損傷はありませんでした。

元々、白内障の治療を行おうかと相談していた矢先の話だったこともあり、とっさの判断が出来なかったのかもしれないです。

気を紛らわせるために、“嫁入り前でなくて良かったね”という冗談をいうと、本人は意外とケロッとしていました(転倒直後救急に入り、私も1時間後に合流しましたが、その時の傷の大きさに思わず涙でそうになりました・・なのに)。

そして驚きべきは70歳代の治癒力の高さ。

結構大きな怪我をしたというのに、その切った傷跡がみるみる小さくなってきました。

ほんとによかった・・・・・。

本人の治癒力もすごいと思いましたが、その際たまたま紹介して頂いた、形成科では名が通った病院にお世話になったことも功を奏したのだと思います。

ということで、母の目も見えにくい、傷のこともある、ということで、今までピンポイントで平日実家に顔を出していたのを、この日を境に、仕事帰り、可能な限り毎日通うことにしました。

職場から半時間かけて実家へ、そして介護や実家の諸々を行った後に実家から1時間かけて自宅へというこのパターンがずっと続くと、さすがにそのうち私もダウンしてしまうので、様子を見てそのうち回数も減らしていくと思います。

しかし非常に不思議なのですが、いわば二重生活を始めることになり、自分自身体力的にきついかなと思ったのですが、自分の体の細胞がこうだと決めたことについてすでに体制を整えてくれていたようで、逆に体調がよいです。

なんでしょう、不思議な感覚なのですが、介護をしている、という気持ちはなく、言葉的に一番近いのは、親を育てている、という気分です。

昔幼い頃に両親がそうしてくれたように、私も同じようなスタンスで親を育てるような気持ちで接しています。

つまりは、自分が親の「おとうさんおかあさんになる」というような感覚です。

そう思うと、不思議と普段目の前に立ちはだかっていた色々なハードルが見事にぱたんぱたんと倒れて、前にすいすい進むことが出来るのです。

勿論、自分の親としての尊敬の念は常に持ち続けたままです。

しかしその尊敬、ある意味永久に超えられない親と子の壁を取っ払ったことで、私は更に彼らに色々な面で近づくことが出来る気がします。



注:2010年12月に作成したためタイムラグがございます、ご了承下さい。
ちょっと前のおはなしです。

体調が悪いのを知ってなのか、知らないでなのか、スタジオの後、妹のごまんが車で迎えに来てくれました。

近くでお茶をするつもりが、車がすいすい進んでゆく。

よくよく聞いてみると、私の街まで送ってくれるとのこと。

地道で1時間かかります。

気晴らしも必要と思ったのか、おもむろにショッピングモールへ私を連れて行きました。

奥まったカフェで、しばし休憩。
ゆっくりとお茶をするのも久しぶりです。

その後お隣のショップで見つけました。


同じ産道を通っていると、たまにこういうことがあるのですが・・・・

「今日はお揃いのものを買おう」

と思っていました、ふたりとも。


201008osoro1.JPG


アルファベットごとに異なる鍵のモチーフのシルバーと真鍮のネックレス。

店先にはお目当てのアルファベットがなかったものの、店員さんに聞いてみると、倉庫から出してきて下さいました。

私は鍵のモチーフが好きで、いくつも鍵ものを持っています。


ということで、お互いにそれぞれのイニシャルのネックレスを手に入れました。


201008osoro2.JPG

右側のオーバルシェイプはごまんのもの。

左側の菱形は私のもの。


201008osoro13.JPG


このネックレス、面白い仕掛けがあるのです。

鍵モチーフの他に、同じ真鍮素材のジョイントがあります。

ここにはイニシャルが型抜きされているわけですが、なんと、鍵の開錠する部分、イニシャルになっているのです。

だから、このジョイントに鍵を差し込むと突き抜けるのです。

ちょっと感動しました。


201008osoro14.JPG

ちなみにこのあざらし。
カフェにディスプレイしてありました。

面白いことに、ごまん(あざらし)が座った席の前に。
まるでここに座りなさいといわんばかりに。

あまりにも可愛らしいので、売っていないかなと探したら、モール内の別ショップで見つけて買いました。

ごまんのうちに1頭。
私のうちにも1頭。

背中の”ごまふ”が本当に黒ゴマをてんてんしたような模様になっています。


「今日はひまやからえーねん」と言って、お茶に連れ出し、何てことないように私を乗せて1時間先の家まで送り、そして何てことない顔して帰っていきました、ごまん。


兄弟は何も言わなくてもわかるのは不思議だなぁ。



産道を通った時から、見えない糸電話がお互いの心につながっているのかなぁ。


もしもーし、ありがとう。
母の日お花.JPG


義母の母の日のお祝いは母の日に。
そして私の母の母の日のお祝いは、彼らの結婚記念日のお祝いと一緒にすることが最近の流れです。

ということで、「こどもの日」に結婚をした両親の結婚記念のお祝いと共に母の日を祝いました。

花屋さんに入るとひと目で気に入ってしまいました。
毎年紫陽花をプレゼントすることが多いけれど(彼女も好きなので)、今年はこの子に。


母の日2010.JPG


「抱えれますか?」とお店の人に言われてよっこらよっこら車に乗っけて運搬。

確かにでかかったです。
でもとても可愛らしかったのでこの子にしました。

普段、母とはとかく口げんかをしてしまい(互いに思いやる気持ちが空回りしてしまいます)、娘としては支えになりきれていないことに申し訳ないと常々感じるのですが、この花達にお詫びの気持ちも託して。

母は笑ってくれました。
気に入ってくれたようでよかった。


お花を実家に届けた後は、すてっきも一緒に家族で両親の結婚祝い。

すてっきが普通の食事を食べられなくなってからは外食には連れて行くことが出来ませんでした。

しかし豆腐料理なら大丈夫かなと、包丁、まな板、スプーン、すてっき用エプロンを持参して、個室でコースを頂きました。

すてっきをはさむのは私とごまん。
私は調理係。
そしてごまんはすてっきが食べるのをサポートする係。

この分担ならいけることがわかりました。

これから、大丈夫そうかな?


両親結婚記念日2010.JPG


食事後に少し散歩をしました。

すてっきに会う時は、私はよくすてっきと二人の写真を携帯で撮影します。

いつもこんな感じで撮影します。

撮影したものをすてっきに見せるといつもニコニコしてくれます。

ニコニコしてくれるので、私は何度も写真を撮りたくなります。


みなさんはどんな母の日をお過ごしになりましたでしょうか?
昨年に実家と倉庫3つを全てリセットした際、兄弟3人で伊勢神宮へ心身ともにリセットしに行こうと決めていたものの、なかなか3人のスケジュールが合わず、ようやくこの連休に実現しました。

当初、私とごまんはトライアンフでひょいと2けつのつもりが、母も同行となり車でGo。

iPodをつなぎ、ザ・たこさんの「Chanja & Kimchi, or DIE !!!」を熱唱しテンションをあげつつ一路伊勢へ。

岐阜在住の兄家族とは伊勢の現地で合流。
兄夫婦は元気そうでほっと安心、そしておちびちゃん達を見て顔がほころびました。

早朝出発のため、名神~伊勢道では渋滞らしい渋滞もなく快適なドライヴが出来たのですが、現地に行き驚愕。

御参りの大渋滞.JPG

どう思います?初詣ばりの混雑。
こんなに混むなんて予想もしませんでした。
しかも真夏並みの直射日光。

大木

こんな大きな木々を見て森林浴をしながら伊勢神宮の内宮を散策。

そして兄弟で御祓い。

御祓い

ゆうすけかな

おちびちゃんたちが神様の鶏(神馬と同じ感じ)を見つけました。
伊勢神宮の中のそのエリアに普通に歩いていたので驚きました。

鶏2羽ねんねこ

一羽が人間でいうところの土下座モードで相手に降服(らしい)。

鶏ねんねこ

するとなぜか上位にいた筈の鶏も土下座モードでりぷらい。
額(というのだろうか)をつけるくらいの勢いだったのでへぇ~っと暫く見ていました。

そしておかげ横丁へ。
更に人の波。

招き猫たち

たまたま招き猫のお祭りを催していました。
猫といえばみいさん・・・ということでしばらく思い出していました。

兄弟集合

久しぶりに兄弟3人で記念撮影@赤福本店。
因みに赤福本店はおとろしいくらいのだだ混みで、行列に並ぶのが苦手な我々は全く興味を示しませんでした。

ゆずたん

あまりの人の多さと酷暑にうんざりモードでしたが、とある酒屋さんの「ゆずたん」という酒粕とゆずの甘酒みたいなのを頂いたのですが、これが冷えていてゆずの風味がしっかりときいていて、酒粕が少し苦手な私でも美味しい!!でした。

虎屋ういろ

赤福よりもこちらに目がないごまんと私。
日持ちがしませんよと店員に言われたので、栗きんとんのういろうを1本のみ購入、運転がてらごまんと半こしました。やはり美味し。

暫く散策し、一路岐阜にある兄家族の家へ。
伊勢道を走りましたが、これが通常2時間半くらいの距離が結果的に4時間半の渋滞。

普通渋滞時はイライラするのですが、私が運転する車の前に、下のおちびちゃんが後部座席からこちら(後方の私やごまん、母)を見て一生懸命何かを喋りかけて手を振っています。
嬉しくなり、車にあるごまんのぬいぐるみで遊んでみたり、手を振ってみたりと口角があがりっぱなしでずっとそんな感じで遊んでいました。
後で兄に聞くと、車でボンボン跳ねながら、「こっちにおいで」と手招きしていたようです。
かな、ごめんやで、車は車に乗られへんのやで~・・気持ちはあったんやけれどなぁ・・

そして兄家族の家に到着。
兄が岐阜に行ってから10年くらいはたつのでしょうか。
現在の医院と一体化した家に行くのは初めてで、医院も大阪で言うところの個人のものと比較するとゆったりとスペースが取ってあり、すごくいい感じだなぁと思いました。

家のほうもこれがシンプルでいて非常に機能的なつくりで、個人的にはキッチンがつぼでした。
火のまわりも広くて色々なものを同時に作って、完成したもんも鍋ごと次々にごんごんおけるスペースも広くて申し分なし。
水周りと分離されているのがまた◎。
輸入もんだそうで、思わず納得。

水まわりもアイランドで業務用の厨房を彷彿させるような、これだと色んなもんを作ってみようと創作意欲が沸くだろうなぁ(お節料理がはかどりそう)という広いシンクと作業スペースで、収納も完璧。
業務用の厨房のスタイルって非常にあこがれます。
アイランドタイプって、四方から人が集まり同時にお話しながら料理も出来るっていうのがすばらしい。
私がお邪魔した際も、大人が集まりアイランドを囲んで雑談みたいな感じでした。

部屋数も多くて、その中で驚いたのが、上のおちびちゃんの勉強部屋。

ゆうすけとぬいぐるみ

勉強部屋、寝室、そしてロフトと、私の感覚でいうと二部屋分くらいの大きさで、ロフトなので天井もとても高くて、これはのびのびと育つだろうなぁという感じ。
勉強机も大人になってからでも十分活用出来るようにということからなのか、いわゆる子供用の勉強机ではなく、どちらかといえば世の旦那様の書斎に近いような、シンプルに大きな板をどかんとわたしているので開放感がはんぱない。

兄夫婦の家を見て思ったのが、白を基調としているのに、机も壁も床も小さな子供が二人いる家だなんて言わなければ想像出来ないくらいの綺麗さをキープしているところ。
かたやDINKSの私は何をしているのだろうと、家をもっと大切にしないといけないなぁと気づかせてくれました。
やはり兄のお嫁さんがよく出来ている人だなぁとここでも再認識(ほんまによう出来た人で、兄は結婚できて幸せもんです)。

ところで上のおちびちゃんが持っている犬のぬいぐるみ、おちびちゃんが生まれて間もない頃に、ごまんがプレゼントしたものですが、その触り心地が独特で、本当にお気に入りだったようで、いつでも離さなかったと兄から聞いてはいたのですが、実物に久しぶりに再会。
ところどころほつけているのが、本当に可愛がってくれていた証拠だなあと、ちょっと感動しました。
よく似たぬいぐるみは見つけるものの、このぬいぐるみと同じ質感のものはないようです。

こんちゅう200909

これは数年前に上のおちびちゃんが作った可動式の昆虫。
胴体真ん中から下肢に向けて伸びた針金を引くと、ぐわーっと前が動きます。
作るのが楽しそうです。

ハロウィーン

ちょうど巷のショップではハロウィーングッズを多く見かけるような時期になり、おちびちゃんたちにはハロウィーンのキャンディーの首飾りを連れて行きました。
おちびちゃんとお面作りを楽しみました。

この下のおちびちゃんがよく笑うんです。
ちょっとはにかむ感じの。
ほんにおきゅうさんやなぁ(本当にキュートな子ですね)。

強面の私やごまんにもよくなついてくれて(心を開いてくれて)すごく嬉しかったです。

そういえばおちびちゃんたちをお風呂に入れたのですが、下のおちびちゃんが入浴中に私のペディキュアに非常に興味を持ちました。
爪に色が入っていること自体不思議だろうと思いますが、爪にパーツをはめこんでいたので・・

ちび:「どうして色ついてるの?」

鰐:「そ、それは女の子やからかなぁ・・・」

ちび:「どうしてここ(爪の上)につけてるの?」

鰐:「か、かわいらしくみえるからかなぁ・・・」

ちび:「どうして?」

鰐:「ど、どうしてって・・・・ミッキー(そういえばおちびちゃんたちは知らぬ間に私をこう命名していた)おんなのこやからかなぁ・・」

ちび:「どうして??」

鰐:「・・・・・(どうしよう・・答え考えてなかった・・・ぼけも思いうかばん・・)」

なぜなぜぼうやでした。

胸部についても、自分のそれと私のを見比べて・・、とんとんと手のひらで自分の胸部を叩いて
「○○の、ちっちゃいねん。」と照れ笑いしてました。
こんなにちっちゃくても気にするんだなぁ、女の子なんだなぁ・・・。

・・自分の幼い頃を思い出すと、当時私は性別不明でした。
私の場合は、例えば小学生の頃は女子でいて女子ではなかったので(男子とつるんで遊ぶことが殆ど)、男子とけんかをする際に、早く成長したこれが急所となり、非常に不利だと感じていました。
その頃は「女性」になりたいと全く思わなかったです。

そういえばおちびちゃんたちが持っている遊具ではまったのがこちら。
盛り上がった代物

ボウリング場やゲームセンターでは闘志漲るあれですが、そのまんまのエアー感で、子供にはちょうどいいくらいの1m強の大きさで、得点ボードもあるし、かなり盛り上がりました。

夜には皆で花火を楽しみました。
花火自体、好きなのに機会がなくてここ数年していなかったので、岐阜で夏の締めくくりをすることになりました。
下のおちびちゃんが、花火の消火用バケツにおしりからはまってしまい、そのさまが可哀想なんだけれどあまりにも可愛らしかったので、思わず微笑んでしまいました。

当初、1泊2日の予定でしたが、延泊が決まり若干気が緩み(晩に酒が呑める)、兄とスーパーに夕食の食材を買いに行った際、夕食と全く関係のない酒類や肴をたんと買い込んでしまいました。

そうそう、兄のお嫁さんの手料理を今回初めて堪能致しました。
それがどれもむちゃくちゃ美味しくてごまんも私も絶賛。
これは兄が太るのは仕方がない・・・、と妙に納得してしまいました。

ところでそのスーパーで初めて見たのですが・・・

精算用かご

これでGメンも楽になるのでしょうか。
少なくともこちらでは見たことのない代物でした。
そしてこのかごのっけのキャリーですが、関西では縦型が主流ですが、このスーパーでは横向きを導入していてちょっとカルチャーショックを受けました。

そんなこんなで、兄夫婦とおちびちゃんたちとの数日間はあっという間に過ぎました。
本当に楽しい日々でした。
で、とある早朝、私とごまんは、母を兄に託して、車で関西に戻ってきました。
幸い全く渋滞に巻き込まれることもなく、すーっと帰宅。

新大阪200909


その翌日、なんと上のおちびちゃんが、岐阜から単身新幹線に乗り新大阪にやってきました。
小学2年生の頃なんて、天王寺まですてっきに車で送ってもらい、そこから祖父母と叔父夫婦の住む阪和線沿線の駅に行くのがやっとでした。

因みに兄夫婦と下のおちびちゃん、そして母は車でやってきました。

そう。彼、こどもの鉄っちゃんなのです。
もっとちっちゃい頃から電車が好きで仕方がなかったのです。
ですから、関西に来たときも、電車が見える京阪沿線のホテルにわざわざとまったりします。

兄の血をしっかり受け継いでおります。

兄も昔は模型を沢山持っていたり、大阪や新大阪に写真を撮りに出掛けたり、寝台特急に乗ったりしていました。

男のロマン、ですな。

全員揃ったところで父方、母方のお墓参りをしました。

こんな感じで銀色週間は幕を閉じました。

つらつらと書いてみましたが、ことばでは表現できないふんわりとした幸せな感覚が旅の思い出として私の心に宿りました。


大変長い文章になってしまいましたが、最後までお付き合い下さった皆様、どうもありがとうございました。
ちっちゃい  ちっちゃい  ちっちゃいの

かわいい  かわいい  かわいいの

ふわふわ  ふわふわ  ふわふわの

あかちゃん。

20090816あんよ

ちっちゃな あんよ

こんなにふんわり やわらかい

ちっちゃなつめも しっかりはえて

わたしのゆびに ちょんとのる



はじめまして ちっちゃいふわふわさん


ちっちゃいふわふわさんの おとうさん

わたしのかわいい おとうとなのよ

ちっちゃいふわふわさんの おかあさん

わたしのかわいい おとうとの 

だいじなだいじな ひとなのよ

ちっちゃいふわふわさんの おとうさんとおかあさん

いつも とっても なかよしさん

だからわたしも うれしいの


くろめで いつか みつけてね

ちいさな くちのおおきなひと

ちいさな めのはなれたひと

ちいさな ふっくらしたひと

ちいさな よくわらっているひと


わたしは あなたの なにでしょう

こたえは いつか おしえるよ

ちっちゃいふわふわさんが

おはなしするようになったら おしえるよ

したのなまえを おしえるよ


いろんなあそびを おしえるよ

きのぼり たんけん てつぼう えんとう

おんなのこだけど かまわない

げんきがいちばん えがおがいちばん

たくさんたくさん あそぼうね
 

20090816ケロとのりちゃん

のりつぐ、まいちゃん、ほんまにおめでとう。

愛に溢れてるって、こういうことをいうのだなぁって、3人にベールがかかっているようでした。


ちっちゃいふわふわさんのおとうさんとおかあさんへ。



”Isn't she lovely" by Stevie Wonder


ごまんとちちぼうろ

ちょっと前に、久し振りに、というか恐らく自分では買い求めたことがないであろうものを買いました。

ちちぼうろ。
そう、ぽっちの形をした子供向けのおやつです。

幼い頃は、ちちぼうろやそばぼうろが流行っていた記憶があります。

記憶は36年前に遡ります。

その年、我が家に新しい生命体が舞い降りました。
どこからやってきたのか、とりあえずアー、ウーとか言って動いている生命体。
小さな真っ白のお布団の中に、真っ白の寝巻きを着て、動物くらいの大きな黒目を開けてアー、ウーとか言って動いている生命体。
私に形が似ていなくもない、こっち見ている、おさるさんみたい。
指を出すとフォークみたいに細い小さい指がきゅっと握ってくる。

母から「あなたはおねえちゃんになったのよ」と告げられ、そうか、私はこの子のおにいちゃんみたいな係(私には兄がいるため)になるのだと理解しました。
それから、そのときまで末っ子だった私は真ん中の子となり、私の下としてやってきたこの小さな生命体の先輩となったわけです。

面白いことに、突然「おねえちゃん」という概念が生まれました。
私がこの子にかまってあげなくてはいけないと思いました。

しかしそれってどうするのだろう?
この子はどうやら歩くことは出来ない感じだから、おにいちゃんといつもやる遊び(探検や木登り)は難しそう。

暫く母の行動を観察する日が続きました。

お乳をあげている。
寝巻きを代えている。
なんだかだっこして面白いさるの顔をしてわらかしている。
どれも難しそう。

そして月日が流れました。

ある日、その子のお布団のそばに、小さなまあるい食べ物がありました。
そう、ちちぼうろ。

これなら私はおねえちゃんらしく、この子に食べさせてあげれるかも知れない。
そう思い、袋からちちぼうろを取り出し、1つづつ、1つづつ口の中に入れました。
最初はその子、うれしそうな顔をしていました。
しかし突然その子は泣き出しました。

大きな大きな泣き声は、2階から1階で炊事をしていた母の耳に届きました。
母の慌てるような階段を走りながらのぼる音がし、部屋の扉がガチャっと開きました。

部屋の真ん中で、ちょこんとした二人。
大泣きしているその子と、その横でどうして泣くのか理解できずにぽかんとしている私を見て、母が怒り出しました。

綺麗な瞬殺平手サーブでした。

しかし私は平手サーブをどうして受けなければいけないのか分かるはずもなく、呆然としました。
すぐに母から、その子はまだ普通のごはんは食べられないから、ちちぼうろも食べられないということを聞き、私は初めてやったことの意味を理解しました。

おねえちゃんらしいことをしたから母も褒めてくれると思ってとった行動が、まさか叱られる(しかもサーブ込み)なんて。
ショックでした。

ということで、初めてのおねえちゃんらしい行動が、その子の息の根を止めていたかもしれないという悲しい出来事でした。

その子が物事を理解するようになってから、そのことについて説明し、許しを得ました。
それ以降、ちちぼうろを見ると、そのときの光景がフラッシュバックします。

現在その子は大きくなり、こないだ一緒に着物を着てお花見をしました。

久しぶりに味わうちちぼうろ。

結構あとひくおいしさです。
200811落ち葉

今朝の温度の下降で、1歩ずつ冬に向かっていることを感じました。
電車の窓に顔を近づけるとふわっと白くなりました。

気がつけば街路樹の落ち葉も沢山見受けられるようになりました。
こういった落ち葉を見ると思い出すのが、実家の裏にあった桜並木の公園で、落ち葉をかき集めて焼き芋をしたことです。

子供の頃は、一体どれだけ待てば焼き芋が焼きあがるのか全くわからず、とりあえず母の言いつけ通りに公園の落ち葉を集めてこんもりした山を作り、遊び疲れた頃に出来ているというパターンだったような気がします。

時代は変わったなぁと思うのが、公園で遊ぶ子供達、そして焚き火が今では殆ど見かけなくなったことでしょうか。

我が家のおやつは母のスイーツか、焼き芋みたいな自然の甘味のものでした。
とてもつまらないと子供の頃は思っていましたが、今にして思えば身体にはいいことだったなぁと。

最近ではとても小さい子供がファーストフードを普通に食している光景をよく見ますが、体が形成される大切な時期に摂取していることにとまどいを感じずにはいられませんが、それも時代の流れなのかなと。


この話を書いているうちに、母に謝らなければいけないことを思い出しました。

スイーツを作ることに興味を持ったのは恐らく母の影響なのですが、母は私を含む子供達が幼い頃からお手製の色々な種類のスイーツをよく作ってくれました。
しかし小学生だった自分からすれば、周囲の友達が駄菓子屋で買うカラフルな駄菓子などが羨ましくて仕方がなかったので、母が心を込めて作ってくれていたスイーツにさほど有難みを感じることもなく、当然のように食していたと思います。

スイーツを作るようになったのは小学生でしたが、その頃は出来上がったものを人にプレゼントするということはなかったので、そういった人のために作るという気持ちが欠落していました。

中学生に上がった私は、それぐらいの年頃の女の子なら誰でもぽっちゃりするというのに、母の作るスイーツのせいだと思い、太るからもう作らないで欲しいと言ったそうです。
こう言ったことすら、大きくなって母に言われるまで記憶から消え去っていました。

とてもひどいことをしていました。

人の為にモノを作るというのは、それが簡単であれ大変であれ、小さい大きいも関係なく、必ずそこに作り手の気持ちがこもっているというのに。

私の相方は、スイーツに限らずご飯にしてもそうですが、何かを作ると、必ず「ありがとう」という言葉を投げかけてくれます。

とてもシンプルなことなのに、私はどうしてこれが出来なかったのだろうなぁと。

母はショックだっただろうなぁって思います。
子供達の喜ぶ顔が見たいと思って作ったスイーツを、もういらないだなんて。

今更謝ったところでその頃の母に詫びることは出来ないのですが、子供だった自分が恐ろしくとがったナイフのような言葉を母に向けてしまっていたのだなぁと痛感し深く反省した次第です。

万灯供養200801

あんまりほのぼのとしたおばあちゃんとお孫さん達だったので後ろから失礼してしまいました。

毎年訪れる四天王寺の万灯供養を、今年は母の誕生日である11日にしました。

弊社のお盆休みは土日を含めて5日間。
会社では若手の大半が効率よく2日休暇をくっつけて9連休にしていたため、この日も会社に出勤している社員の年齢層の高いこと。

仕事帰りに一路四天王寺へ。
現地で母・ごまん・相方と合流しました。
平日ということもあり、ゆっくりと灯を眺めることが出来ました。

20㎝強くらいのロウソクにご先祖様などの戒名などを墨で認めます。
お寺のバイトの方に代筆をお願いすることも出来るのですが、「下手でも心がこもっていることのほうが肝心」と言われたので、今年も手書きしました。
母は実家方そして嫁いだ先の先祖の分を準備するため、20本近いロウソクを購入していたのではないかと思います。
沢山のロウソクを係の人に手渡し、それに1本1本火を灯してくださいます。
ご本尊の前にロウソクを立てて頂き、全てのロウソクの火が消えるまで、我々は色々なことに思いをはせたり、カメラ片手に境内の様子を撮影したり、亡くなった人のことを思い出したりと、そんな感じでゆらゆらと長い火柱を眺めていました。

万灯供養200802

寺社仏閣を訪れると必ず龍のアイテムを見かけます。
四天王寺の境内には、井戸の上の社の天井に描かれた龍の絵画が井戸の水面に映し出され、それを見ながらお願い事をするそうですが、やはりなおちゃんのことを思い出していました。
そのたびに彼の生き様を思い出し、自分の日々の送り方のゆるさや甘さなどを反省します。

万灯供養200803


今年、私は福の他に、親戚が飼っていて、私になついてくれていた犬の分のロウソクも用意しました。
残念ながら、医師のずさんな処置により急死してしまい、その最期が言葉で表現出来ないような結末であった為、飼い主の叔父も本当に心を痛めて数日で5キロくらい痩せ落ちたと言ってました。
それで、飼い主であった叔父の気持ちも含めて弔いの意味をこめてロウソクを灯してもらいました。
本来は、人間のものなので無作法なのかも知れませんが、私にとっての福も、叔父にとってのチャッピーも、言ってみれば子供のような存在であったので、許してもらうことにしています。

万灯供養200804

4人でぼーっと消えていくさまを眺めていると、五重塔の上にぽっかりとお月様が現れました。
まるで、ロウソクの灯火から天に昇り、お月様のところで休憩をして、こちらを眺めているようでした。

その後、天王寺近くの「はんなり」というお店で、母の誕生日を祝うことになりました。
ボリュームは少ないものの、味付けがあっさりしていて一同大満足。

こないだTVで、「自分が生まれてくるにはかなりの単位の人間が関わっていて、そのうちの一人でも欠けたら自分は存在しない」ということを仰っていました。
実際自分という生命体がこの世に出来上がった直接の仕掛け人は両親であることは言うまでもありませんが、その両親を含め、先祖代々に感謝しないといけないという意味をこの年になり深く認識した次第です。

母とごまん、そして相方はみんな同じ干支です。
ちょうど母は彼らの倍生きています。
ごまんと相方が、現在の母の年齢になった時、どういう生き方を歩んできて、どういう物の考え方をしているのかを間近で確認したいと思いました。

7月末にFRFで色々な形状のキャンドルを楽しみましたが、その時は幻想的でどちらかというと、非常にムーディな感じなのですが、四天王寺の万灯供養のともしびは、何と言うか、そのロウソク1本1本に魂が宿っている気がして、灯がともっている時間は、無言の交信をしているのではないかと思えて、非常に感慨深く、例年消えてなくなるまで見届けています。

あかりは、人の心を照らすものなんですね。
この5ヶ月、尋常でない生活と肉体労働を行ってきたごまんと私。
激務でストレスもたまります。

ストレスをためると、この兄弟に類似の傾向が働きます。

「食」です。
激務で痩せるかと思えば、逆に身体の防御反応が働いて、一人でも病気などでメンツが欠けると、つまりは他のメンツにもろに迷惑をかけるということで、“絶対身体を壊してはいけない”という意識が生まれ、ごまんと私は体力作りにもりもり食べました。

自炊している暇などあるわけもなく、空き時間の合間に、ミニストップのスパイシーポテトとソフトをほおばり(これがまた旨し!!)暫くの至福のときを過ごしてみたり(ぶーちゃんまっしぐら)また晩御飯の時間も遅い時間に、ということが多かった為、ふたりの身体は大きく育ちました。

防御反応が働きすぎていたのでしょうか、おかげで入っていたものが入らなくなりました。
過剰反応で、若干、ありがた迷惑です。

しかしこれで普通の食生活や、しんどいから食べないとか言っていたら、確実に身体を壊していただろうなぁと思います。


今回のストレス太りは必要悪でありました。

しかし、そろそろ防御反応は起きなくてよい時期だと身体に言い聞かせないといけません。



いつ判ってくれるのでしょうか・・・・・・・。
さて、以前に私は馬車馬で・・というくだりで日記を書いていましたが、何が馬車馬だったのかということを記したいと思います。

実は1月から5月末まで、実家を処分するべく、一戸建ての実家と3つの倉庫そして現在まで住んでいた集合住宅の荷物を処分・整理をして新たな集合住宅へ移るという3方向の引越しを行っていたのです。
こんな感じです。
実家+倉庫+倉庫+倉庫+現居・・・>新居に集結
5つのエリアから1つのエリアに集結・・・。
この作業が恐ろしくすさまじいものでした。

実家にあるのは一部を除きほぼ両親の物だけなのですが、40年もの間そこに腰を下ろしていたということ、そして昭和初期の人間ということもあり、モノを大事にする性分が染み付いて、それが大量の荷物を生み出しておりました。
モノを大事にする性分自体は良いことであると思いますし、私も賛成です。
忘れてはいけないことだと思います。
しかしそれは程度問題であると痛感しました。

父は仕事柄、書籍や書類、新聞があほほどあって、3つの倉庫の殆ども父のそういう関係のもので山積みとなっていました。
4~5mの高さの倉庫の頂上まで積まれているのです。
ある程度は家族で古紙の日などに捨てたり、処理工場に持ち込んだりしましたが、それでも減らないので古紙回収業者に依頼した際、ダンボール約60個の紙類がトラックに積まれて引き取られていきました。
仕事以外にも、若い頃に色々なスポーツをしていたり、カメラや八ミリにも凝っていた父のアイテムはかなりの量でした。

そして母は商売が出来るくらいの数の食器(しかも未開封)を大事に収納していました(娘が嫁ぐ際に手渡すつもりだったそうですが)。
色々な手芸も手広くやっていたので、布類も毛糸も器具も、“え?”というくらいの量のものが色々な部屋から出てきました。
あと、和洋の衣類の多さ。
出てくるわ出てくるわ。
祖母と母の着物や小物も沢山ありました。

実家は日本家屋の大工が始めて洋風建築に取り組んだ中途半端なつくりで、押入れあるいはクローゼットが殆どないという状況で、ではどうしていたのかというと、今のライフスタイルでは考えられませんが、箪笥だけで20近く置いていました。

ということで、1月から5月末までは我々子供で協力して、荷物の処分や移動の作業を土日返上、場合によっては平日会社を休んでトラックを借りて処理工場に搬入するというような生活を送っていたので、土日のプライベートな時間は片手で足りるくらいしか過ごしていませんでした。

さて、実家や倉庫の荷物の殆どは両親のものと先に記しましたが、普通は所有主が処分なり整理なりするのですが、父であるすてっきは入院中、母は腰を患い、すてっきの看病もあるので、当の本人達が全く指示を出せない状況でした。

自分のものではないモノを処分やら整理したのは我々子供で、どれが必要でどれが不要なのかも手探り状態。
これにはかなり悩まされ、「大きな葛篭から小さな葛篭に移すには多くを処分するしかない」という兄弟の考えに、母は「大事にしてきたものだから」ということで、両者間でかなりの意見の相違もあり衝突も多々ありました。
また、面白いことに、我々が「これは残しておくだろう」というような物が、実際母にとっては「あ、捨てて」ということがあったり、また逆で「こんなん処分していいよね?」というような物が、母にとっては「あかんあかん、これはちゃんとおいておくねん」・・・・・・・。
兄弟絶句。
故に更に作業の時間が増えたのでした。

この5ヶ月に及ぶ(普通はそんなにかからんでしょと思うでしょ?)処分や整理で、年をとれば、荷物をスリム化する必要性をひしひしと感じたわけです。

さて、我々が実家を処分しようと決断した理由に、
①実家付近にすてっき及び母が通える病院がない
②駅まで遠い
③兄は既に近畿圏外で住まいを構えているし、ごまんや私も実家に住むつもりはない
などがあります。

年老いた両親が住むには不便すぎました。
一戸建ては、すてっきのように身体が不自由になってしまうと建物全体がストレスと危険の塊と化すので、高齢になり階段のある一戸建てからフラットなマンションに引越す人々の気持ちがよく判りました。

それと建物自体が問題を抱えていました。
阪神大震災の際に実家が若干傾いてしまい、外壁にヒビが入り、いつか補修をしようと言っていたのに気がついたらすてっきが脳梗塞で倒れてそれどころではなくなり現在に至ったという状況で、いづれにしても長くは住めない状況になっていたというのも大きな理由です。

それから、現在の新居を選んだ理由は3つありました。

1つ目はアクセスのよさ。
大阪の中心部にある新居は、車椅子で数分の距離に大きな病院がいくつもあり、交通も便利でタクシー乗り場まで併設されているので、かなり便利です。

2つ目はトイレ。
??と思われた方が多いと思いますが、これから実際介護される方は侮れません。
高齢者のトイレは非常に長いです。
故に同居の家族のトイレには制約があるのです。
我が家にはポータブルトイレもありますし、しびんもあります、オムツもあります。
しかし本人はトイレでの排泄を希望しているので(それが一番望ましいのですが)、すてっきにトイレを譲ると、ひどいときには1時間近くトイレを占拠してしまいます。
会社勤めの人間には酷です。
また、高齢の連れ合い(母)にとってもトイレを我慢することは非常に酷です。
ある時、私がネットで物件を探していたら、たまたまこのトイレが2つある物件(2こ1にした物件)を見つけ、築年数は古いものの、住居の広さも広く、すてっきのトイレまでのアクセスが非常に便利で、もうここにするしかないと、即決しました。
現在ではトイレの1つをすてっき用、そしてもうひとつは他の家族や来客用として利用しています。

そして3つ目は音。
すてっきは片耳が聴こえない上に、聴こえているほうの耳も補聴器で微かに聴こえる程度です。
耳が聴こえないということは、周囲の音がどれだけの音量で鳴っているかを体感しにくいということで、例えばドアの閉める音、立ち上がる音、歩く音、話す音量、全てにおいてマックスなのです。
加えてからだの不自由さもあり、そおっと物を扱うことが出来ず、何でも反動になってしまいます。
母はすてっきの発する色々な「音」に関して過敏になり過ぎていたため、普段からすてっきに対して注意するようにと叱っていました。
すてっきにしてみれば「故意」ではないので、なかなかなおすことが出来ません。
責めても仕方がないのです。
一戸建てであれば音のことはさほど気にしなくてもよいですが、集合住宅となればデリケートな問題です。
幸い、新居には高齢者が多数いらっしゃるようで、どこの家庭でも同じ悩みを抱えているということから、普通の集合住宅よりもあまり気にしなくてよいこの新居に決めたのでした。
勿論、新居では、色々な扉などに緩衝キットを挟んで反動で閉まった際に大きな音がならないように、すてっきが指をつめないようにしています。
それと転倒しないようにと色々なところに手すりも沢山つけました。

話は戻り、毎週土日、そして平日もたびたび休んでの作業で、処分した量もハンパではなく、2Tトラックを10回くらい借りて、処理工場には20往復くらい行ったり、その他も、日々のごみ収集で少しづつ捨てましたが、 当初うんざりするほどの量のものが、からっぽになったさまを見て、最初はおセンチになるような余裕は全くなかったものの、最後のほうで、かなり哀しくなっていました。
自分の生まれた家がなくなるというのは寂しいものですね。

実家でも思い出深いのは、屋上。
お月見や、ビール片手に寝そべって星空を観賞するなど、楽しい想い出が詰まっていました。
ごまんと最後に大の字になって寝転んでみました。

屋上にて


そして家の裏には並木の公園があり、春になると、屋上から、2Fから櫻を愛でることも楽しみの一つでした。

記念に家の何かを想い出に持ち帰りたいと思い、応接室にあったお気に入りだったマントルピースの大理石を持って帰り、スイーツ作りの際に使おうかと思いましたが、あまりにも重くて断念。

エントランスと応接室にあった間接照明は、そのムーディな佇まいが好きだったので、シェードだけを強引に外し、筒状になったシェードを、今は私が自宅で夜にロウソクを灯し、ダイニングでムーディな佇まいを楽しむため持ち帰りました。

シェード1


何ともいえない表情を浮かべます。
これを自宅に持ち帰り、初めて夜にロウソクを灯した際は、今までのことが走馬灯のように駆け巡り、若干涙腺緩みました。

シェード2

近所で使ってくださると仰って下さったものはお譲りしました。
一番面白かったのは大きな物置をご近所さんにお譲りする際、当初大人4人で動かさないと無理ではないかと言っていたのを、メンツが揃わないからと、大きなレジャーシートを敷き、台車をかませてごまんと二人で運搬したこと。
人間なんでも出来るんだなぁと思いました。

ということで、5ヶ月間の実家関連の作業、そして3月~6月のすてっき入院と、ダブルできたのでみんなへとへとでした。
まだ1つ倉庫と現在住んでいる住まいの荷物が仕分け・運搬出来ていないので、これからまだ頑張らないといけませんが、最近の猛暑もあるのでぼちぼちいきたいと思います。

みなさんも暑さには十分にご注意を!!
39.jpg


26日にここのつになりました。
大人の仲間入りまであと1年となりました。

30代はジェットコースターのようでした。
色々な上り坂と下り坂を繰り返し、
得たものも失ったものも多く、
また出逢いと別れも同じくらい多く、
言い換えれば、甘くもあり辛くもある中濃ソース
くらいの人生を送ったのではないかと思います。

有難いことに、色々なことを学ぶ機会が沢山ありました。
いいことも悪いこともきちんと咀嚼して自分に浸透
させることを忘れないようにしようと思います。

ここでひとつ、大きな深呼吸をして、大きな歩幅で
30代最後の貴重な1年を興味深く歩んでいきたいと
思います。

今まで無事に生きてこれたことに感謝。
そして育ててくれた親と見守ってくれた兄弟、
よき理解者の相方にも感謝。

あなた達が思う以上に
私はあなた達を深く愛しています。
日々少しでも、この気持ちが伝わることを祈りつつ。
20071016063717.jpg


過日、兄の息子から写真が送られてきました。

金のキョロちゃんのかんかんを持って嬉しそうな顔。
相方がこの製品をよく食すそうで、金のキョロちゃん(限定らしい)を私の兄の息子宛に送ってくれました。

こうやって喜んでくれるとこちらも嬉しいですね。
(って、私の手柄でもなんでもないのですが・・・)

20070720195948.jpg夏はビールに限ります。

昨日は久しぶりに母とごまんを誘って女3人で呑みに行きました。

母は私に負けず劣らず好き嫌いが多いので、店を選ぶのにえらく時間がかかりました。

外食して色々な話をすると食欲も旺盛になるらしいです、うちの母。
その前の日はなんと食欲がないと言ってアイス1つで1日事足りたそうです。

日々食欲旺盛の私からすれば信じられないことです。

店に集合する前に、ごまんととあるエスニックのショップに行き、アクセサリーを見ていました。
兄弟(姉妹)はやはりつながっているのでしょう。
同じデザインのものを手に取っていました。
結局色違いのものをゲット。

オンナ3人揃えばかしましい、沢山話して食べて呑みました。

お店を出るまでは楽しい時間だったのですが、店を出て3人に異変が。

身体に湿疹が・・かゆいかゆい・・・何かに当たったのでしょうか・・?
幸い嘔吐まではいかなかったので、これもよしといたしましょう。
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TVで60~70年代のヒーロー特集をするという記事が載っていました。

怪傑ライオン丸であったり、スペクトルマンであったり、ウルトラマンであったり、マグマ大使であったり。

あれ?

よくよく見てみると。


・・・・・・ごまんってマグマ大使に似ているの?

実家のおもちゃ箱にもあったマグマ大使。
その時は全く気づきませんでした。

くりくりの大きな黒目と鼻筋が似ています。
20070610230632.jpg拝啓、おふくろ様

1月に贈ってくれた蘭、花は既に散りましたが、その後、葉は空に向かって元気に勢いよく成長しています。

いつだったか、1ヶ月くらい前に、鉢の中に新しい命が芽生えていることを知り、日々頑張るのだよと応援しながら水遣りをしていました。

それが最近、応援しすぎたのか、かなり急速なスピードで既に生えていた先輩たちを追い越さんばかりの勢いで成長しています。
少し前はあんなに小さな子だったのに。

気がつけば鉢のスペースは満員御礼。
早く鉢分けをしてやらねばと思いつつ、その手順を誤ることで彼らを殺めてしまってはと危惧するうちに、更に空に向かって伸びてきました。

非常にまっすぐな性格のようです。

おふくろ様、近々、彼らの新天地を探すべく、ホームセンターを訪れようと思います。
古巣からの旅立ちは、彼らにとっても非常に辛いこととは思いますが、早く新天地での生活に慣れるよう、また日々頑張るのだよと応援しながら水遣りをしようと思います。

草木はやはり正直ですね。
まっすぐに空に向かって伸びてゆきます。
愛情をかけるだけ、まっすぐに素直に育ってゆきます。

見習わないといけないですね。

それではおふくろ様もどうかお身体ご自愛下さい。
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日曜は母の日でした。
いつもお花を贈ったり、何かしらプレゼントをしたりするのですが、今回は双方の母二人を連れて合同母の日にしました。

母同士は今まで電話等でのやりとりはあったものの、なかなか会う機会がなく、お互いに今回の再会を非常に心待ちにしていたようです。

それぞれ、たまに会話で「最近は市場がなくなってしまってお店の人と会話してものを買うということがなくなって寂しくなったわ」と言っていたので、これは!と思い、京都の錦市場へ。

ゆっくりと楽しむ時間はなかったけれども二人とも楽しそうに店を見て回っていました。
実は私も市場好き。
特に錦は好きです。
細工物なども見ていて楽しいし、お花が安い。
お漬物のお店も沢山あるし、豆乳ドーナツもあるし。

その後、町家を改造したフレンチのomoyaへ。
ちょうどお庭が見える席でした。
いつも裏切りません、美味しゅうございました。
白ワインをオーダーしましたが、これが甘くて非常に好みのものでした。
美味しいものを頂きながら、母達の旦那様のお話や、4人の幼い頃の話などをしたりして、結構長い時間4人で、色々な話に花が咲きました。

そうこうしているうちに、当初予定していた三千院や大原のほうへ足を伸ばすというプランは時間の都合上断念。
その代わり、ちょうど今頃杜若が見ごろだという太田神社へ行くことに。
しかし駐車場がないために敢え無く断念。
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ということで、車で数分離れた場所にある上賀茂神社へ。

20070514233016.jpg京都に一時期住んでいたというのに、上賀茂神社は初めて。
その青々として緑が非常に清清しく、気持ちが洗われるようでした。
入り口近くに馬小屋と人だかりが見えました。
ひょっとして神馬!
真っ白のおうまさんでした。
あぁぁぁ、可愛らしい・・・。

馬小屋の横にはにんじんがお皿に数枚に入れられて、お金を渡すとおうまさんににんじんをあげることが出来るようで、早速私も。

最初ににんじん1枚を口元に持っていくと”ばくっ”。
”あ、あぶないですよ!!お皿を持ってお願いします!”
馬のお付の方に笑顔で言われました。
そうか・・・残念だなぁ・・・しかしお口とお鼻をなでなでしたかった・・・。

20070514233027.jpg馬小屋の横では、馬の形をした木彫りの人形が置かれていました。

あれ、何をくわえているの?
木彫りの神馬の人形が、おみくじを口にくわえていました。
運試しということで4人揃って買ってみることに。

相方の母と相方は同じ番号の「吉」。
こんなことってあるのですね、親子の絆、強しです。

そして私は「吉」。
”思うように気持ちが伝わらず苛立つこと多く、胸痛むが努力あれば理解得られ後は良いことあり。無駄を省き清潔であれば良し”

確かに最近心を痛めた事柄はありました、へこみました・・が、努力しまっす。
清潔・・・・心がけましょう。

私の母は”凶とかかもしれないなぁ、でもこれ以上悪くはならないよね”と言いながらおみくじをあけると「大吉」。
よかったよかった。

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おみくじはこんな感じです。
水色パターンと赤色パターンがありました。

二人は日ごろの鬱憤がたまっていたようで、
”もう!・・・なのよ~”とか
”そうそう!”とか、
会話を聞いている限りは怒っているのではないかと。
しかし二人とも終始笑顔で、本当に楽しそうでした。
結局は二人とも旦那様、愛しているんでしょうね。

少しは母親孝行できた・・・・・のかな??
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ごまんから封筒を渡されました。

封筒には色々とスタンプが押してあって、訊いてみると、自分で彫ったとのこと。

「ごまん → わにっこ」
ちなみに「わにっこ」というのは私のことです(鰐っこ)。

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このめがねも洒落てます。

器用やなぁと感心し、何が入ってるのと訊くと、1つ目の画像中央に押してあるくまのスタンプ。

「わにっこって書いてあるやろ?」

彫ってくれたようです。ありがたい。

しかしよく見ると、封筒の左上の「ごまん」と書かれた横にいるクマのニコニコした表情と、「わにっこ」と書かれた横のクマ。

わにっこのほうは素の表情です。
どうやら作成段階で口を彫り落としてしまったようで。

今度は鰐のスタンプを作ってくれるそうです。
たのしみたのしみ。
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