何から書いたらよいのか、そして何て書けばよいのかも解らず、結局1ヶ月が経過しました。
“ジャッキーさん、ジャッキーさんっ!!”
なおちゃんに、もうこう呼んでもらえることはないんだなって。
今でもあのよく通る声で私の名前を呼ぶ姿が脳裏にくっきりと焼きついています。
なおちゃんが、お決まりの私をおちょくるネタをかまして、私が蹴りで応酬するという流れはもはや存在しないんだなって。

1ヶ月前の金曜に、なおちゃんが亡くなったという知らせを受けた時、体が震え、呼吸がおぼつかなくなりました。現実に直面することを、身体全体で拒否したのでしょう。
そして。
以前、なおちゃんが外出許可を取ってべまきさんとわざわざSmileのライヴに来てくれた時に撮影した2ショットの写真。
二人ともとても自然でのびのびとした表情で、柔らかな愛に包まれていて、私も好きな写真でした。
被写体のなおちゃんも誉めてくれて、額に入れてプレゼントしたら喜んでくれました。
自分が撮影した写真を喜んでくれるなんて、この上なく幸せに感じました。
その写真がなおちゃんの遺影に使われると知って、崩れ落ちて嗚咽する自分がいました。
心にぽっかりと大きな穴があきました。
太陽のようにみんなの心を照らす人がみんなの前からいなくなりました。
今頃、いつも私がなおちゃんのことをそう例えていたように、きっと龍になって空高く昇ってすいすいと雲海を泳いでいるのでしょう。
学生時代からの20年近い付き合いの、ウクレレ前田氏ことなおちゃんが、昨年から悪性リンパ腫と果敢に闘っていましたが、残念ながら10月20日に永遠の眠りにつきました。
「あり得ない」。
一緒にバンドをやっていたトーマスのブログにも「一番死に遠いような人間」というニュアンスのことが書かれていましたが、まさにそういう存在でした。
自分のブログには「ともだち」というカテゴリーがあって、それを読み返すと、一番記事が多い人はなおちゃんでした。

なおちゃんは大学の軽音楽部時代からの付き合いで、部の体育会系のような上下関係の厳しさもあり、私と同年入学なのに、部は1年後に入部したため、先輩後輩という奇妙な間柄でした。
しかも年齢は私より2つ上なのですが、先輩後輩の間柄から、なおちゃんはいつも私に敬語でした。
どう見ても年上のなおちゃんが敬語、そしてどう見ても年下の私はため口、周囲から見たらきっと不思議な光景だったでしょうね。
強烈な個性の持ち主なのに、全くあくがない。
非常に謙虚で真面目、そして几帳面。
自分よりも人の事を先に考えるような人。
とにかく周囲の人を楽しませる、笑顔にさせることが好き。
そう、思いやりのある人。
なおちゃんはそんな人間でした。
なおちゃんは学生時代、その圧倒的な歌唱力から非常に存在感のあるヴォーカリストで、私のような下手くそには恐れ多い存在で、本当に素晴らしいヴォーカリストでした。
かと思えば、たまにギターを持ち出して「上を向いて歩こう」などをポロンポロンと弾き語りしていたのも覚えています。
考えてみれば、社会人になって一緒にバンドをすることになり、それまでの先輩後輩という間柄から、更に連れ意識が強まったのだと思います。

当時私が組んでいたSoul The Freeze!!という大所帯バンドにコーラスとてして加入したいと言ってきてくれた時、「どうしてヴォーカルでなくコーラスなの?」と訊くと「コーラスのほうが気持ちいいから」と答えてくれた気がします。
当時コーラスには妹のごまんも参加していて、3人でスタジオ内で楽しく歌っていたことを思い出します。

ごまんはフリーズでコーラスとして参加していましたが、私が半ば強引に加入させたので、当初は乗り気ではなかったのですが、なおちゃんと一緒にコーラスをするようになって、その楽しみを見出したようでした。

私自身、なおちゃんと一緒にバンドで歌うことによってどれだけ楽しさを見出せたか計り知れません。

当時、同時にSoul Jackというアコースティックのバンドでも一緒に活動していて、なおちゃんはブルースハープとパーカッション、コーラスを担当していました。
キャロル・キングの「君の友達」では、背後からなおちゃんのしっかりとしたコーラスが私の声を支えてくれました。
当時私はビデオカメラやカメラ撮影が趣味のひとつでもあったので、ライヴや練習風景、レクリエーションなど、当時のバンド関係の映像物を沢山残していました。
もちろんなおちゃんの映像も沢山でてきました。
ビデオのなおちゃんは元気なままで、よく笑って、メンバーを笑かせて、あほなことも沢山言うて、周囲の私やごまんに蹴りを入れられたりしています。
この下の写真だって、みんな真面目な表情で映っているのに、なおちゃん一人おちょけているでしょ?

フリーズではコンテストにいくつか出場したことがあり、まさに演奏中に、メンバーが誰も予想しないようなことをしでかして笑かせることをたびたびやりました。
私は、笑いすぎてその後まともに歌えなかったら困ると必死で平常心を保ったものでした。
考えてみれば、それは音や表情のかたいメンバーをリラックスさせてくれていたのかも知れません。
当時、なおちゃんがまさかこういうことになるなんて、誰が予測できたでしょう。
過日、べまきさんのおかげでご両親にお会いすることが出来、その際、自分が所有するなおちゃんの映像や音源など、全てを編集して2冊のアルバムに5枚のDVD、そしてCDにまとめあげてご両親にお渡ししました。
私が知り得ている範囲だけでも、なおちゃんがどんな感じで友達と過ごしていたか、どんな感じで音楽に取り組んでいたかをご両親にお伝えしたくって。

今月に入ってからおとといまでの3週間、仕事から帰ると毎晩深夜まで、昔のVHSやHi-8の映像をチェック、編集するという日々が続きました。
TVに映るコミカルななおちゃんを見て大笑いすることもあったのですが、実際は「なぁなおちゃん、むっちゃ気合入れてなおちゃんのスペシャルDVD作ってるねんで。ほんまはなおちゃんに一番見てもらいたいねんで、なぁ聞こえてるか?なぁ・・・」と画面に向かって崩れ落ちる日もありました。
私には連れ(友達ではなく)と呼べる人は数少なく、その数少ない連れの中でも、恐らく一生全く気遣いなく付き合っていけるうちの一人でした。
きっとおじいちゃんおばあちゃんになっても
“ジャッキーさ〜ん!”〔この後でなおちゃんが余計なことを言う〕
“まえだ〜!!”〔と私が膝蹴りを入れる〕
というやりとりが続くものだと思っていました。
もっと色々おはなししたかったよ、なおちゃん。
元気になったらまた膝蹴りくらわしたいと思っていたよ。
前向きに病気と向き合って、ほんまによく頑張ったね。
すごいがんばった。
えらかったよ、なおちゃん。
おつかれさんやで。

なによりもまた一緒に歌う機会があったらと思っていました。
なおちゃんが亡くなる前に送ったメールに、なおちゃんが元気になったら、是非スタイリスティックスの"You make me feel brand new”を歌って欲しいとリクエストしていました。
棺に入ったなおちゃんはとても綺麗で安らかな表情でした。
なおちゃん、こんな端整な顔立ちしていたんだね。
なおちゃん、棺からガバッと起き上がって驚かすんじゃないかと思いました。
というか、お願いだから驚かしてよ、と心の中で願いました。
目の前で安らかに横たわっている青年がなおちゃんなんかじゃないと思いたかったです。
告別式の後、ご両親のご好意で、ごまんと姉妹共々お骨上げまで参加させて頂くことが出来ました。
骨と化したなおちゃん。
子供の命の灯火が消えたという目の前の現実に直面されているご両親のお姿を、私はまともに見ることが出来ませんでした。
なおちゃんは若くしてこの世を去ったわけですが、お通夜、告別式と参列し、その参列者の数の多さには正直驚きました。
参列された皆さんが恐らくお感じになったことだと思います。
職場関係ではなく、殆どがお友達。
会場の外にも沢山の参列者が溢れていました。
どれだけ多くの人がなおちゃんのことを慕っていたか、よくわかりました。
みんなに愛されていたんだね、なおちゃん。
なおちゃん、ほんまにありがとうやで、たのしかったよ。
自分の一生の中で、なおちゃんのような最高の連れに出逢えたこと、自分でも誇りに思うよ。
ほんまにありがとうやで。
なんちゅうか、ほんまに、ほんまにありがとう。
なんぼありがとう言うても足りへんよ、なおちゃん。
なおちゃんのとこまでありがとうって届いたら嬉しいなぁ。
私がいつかそっちに行ったら何の曲、一緒に歌ってくれる?
私、それまでに少しでも上手になれるよう、誉めてもらえるように頑張るよ。
歌うこと、色々な楽しさを教えてもらったから、一生続けるよ。
誉めてもらった写真もまた撮り始めるよ。
心の中で膝蹴りをくらわして、これからのなおちゃんの日々にエールをおくります。